儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

文フリありがとうございました

書く書く詐欺をしていてすみません……文フリありがとうございました!

これは望さんと撮った写真です。望さんはこの日延々とテニミュの話をしていました。わたしはこの日だけでテニミュに詳しくなりました。

わたしは終日日記の方のブースにいたのですが、アイドルミニコミの方にも足を運んでくれた方が来てくださったり、見本誌コーナーで見つけてくださった方がいたり……色々な方に手に取っていただけて嬉しかったです!哲学、精神分析に興味のある方や、バルトが好きという方、ハイハイ担の方などなど、様々な方とお話しできて、とっても楽しい一日でした。予想外にひらいて本を買ってくださった方が多くて、それにもびっくり!もし買ってくださった方の中で、ここを見ている方がいらっしゃいましたら、あなたがひらいてをどう読んだかも教えてください。

日記本2種類については日記祭の後に書こうと思っているので、今回はアイドルミニコミの方に書いた墜廃ドラマについてだけ。今回の論考のタイトルは「まともじゃないのがちょうどいいの?:ロラン・バルトにおける「中性」と『墜落JKと廃人教師』」で、以前にも書いたように、「まともじゃないのがちょうどいいの」をタイトルにしたい!という気持ちだけで書き始めました。この曲はもともと好きだったのですが、ブーストの入場前で後ろにいた知らない涼くん担の人が「幸せの皺寄せは昨日の中にあるから、きっと良い席が引ける!」みたいなことを言っているのを聞いて以来、なんだかいいな~と思っていたのですよね。で、そこから「まともじゃないのがちょうどいいの」をタイトルにした論考を書きたい!これに「?」をつけたら更にかわいいに違いない!と思い、タイトルと題材が決定。その後4カ月ほど放置し、原稿締め切りの二週間くらい前から墜廃ドラマを見始めた……というとんでもない書き方をしました。ただ、バルトの喪の日記、明るい部屋を使いたいな、というのは前々から決めていて、というのも、エンディングの映像が先生の<部屋>だったからなのです。連想ゲームのような感じですが、喪の日記、母(のような存在)との離別、新たな生、眠りと覚醒……と一つずつ整理し、最終的に「扇言の生を巡る物語ではなく、先生の生を言祝ぐ物語として読もう!」とまとまりました。ただ改めて自分の書いた文章を読むと、「生徒と教師」であることの必然性についての言及が足りないなという反省もあり……ぐるぐるぐる……「まともじゃない」ことで救われる瞬間というものが確かにあって、「吊り橋効果」のどきどきもあるけれど、一方でその「ゆるさ」への惹かれもあるのかな。わたしは「生徒と教師」ものが結構好きなんですけど、それについてももっと考えたいですね。全然関係ありませんが、墜廃ドラマの注目ポイントの一つには、扇言の私服の可愛さもあると思っています。ゆったりとしたワンピースがかわいい!!扇言に憧れてきれいめのワンピースを探しております。

12月10日には下北沢のBONUS TRACKで開催される日記祭に参加します!こちらもよろしくお願いいたします。

追記で拍手のお返事です。
>>11/13 19:24 文フリお疲れ様でした。……
本をお手に取っていただきありがとうございました。まだ社会人日記を書いていなかった頃に職場で凄く落ち込むことがあったんですけど、それをお友達にLINEで報告したら結構救われたというか、幾分か気持ちが楽になったんですよね。あとがきにも書いたように、文章にすることで生まれる過剰さ(または不足部分)によって自分の経験を自分自身から切り離せると思っていて、あの日記を書いていたからこそ、日々起こるあれこれを深刻にとらえ過ぎず、「面白いもの」に変換できたような気がします。これからも少しずつ本を作っていきたいな、と思っていますので、また機会がありましたら、ぜひよろしくお願いいたします!