儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

文フリ東京35ありがとうございました

文フリ東京35ありがとうございました。

今回はコピー本2種類の無料頒布があったのですが、会場入りしてから製本したので、開始1時間くらいはずっとばたばたしておりました。いつもは始まる前に売上メモの写真をストーリーに上げてるんですけれど、今回は写真を撮れるくらい落ち着いた頃には数冊売れていました……有難いです。ありがとうございました!

あまり自分の書いた文章について後からどーのこーの言うのもどうかな、と思ったのですが、せっかくなのでたらたら解説的なものを書いてみます。


☆ハイハイジェッツの冒険(またはアイドルの「幼さ」について)

タイトルは浅田彰「スキゾ・キッズの冒険」を捩ったもの。去年夏くらいから考えていた、ハイハイの生成変化する身体についての怪文書です。わたしは本を読む際、そこに記述されている概念を分かりやすいイメージに変換しながら感覚を掴んでいくことが多いのですが、生成変化はローラースケートのイメージなんです。どこまでも続く広い道をローラースケートで進んでゆく。今すぐ横に見えた景色は次の瞬間に後ろへ退き、また新しい景色が見える。しかし、今、と思った瞬間にそれは過去のものとなり、また離れてしまう。常に生成と変化を繰り返す……ここに、浅田彰の示したスキゾ・キッズの概念とハイハイを重ね、アイドル然としたアイドルとは、わたしたちが失った幼さ=逸れてゆく自由を持っている人、と考えてみました。あとは文体の話。千のプラトーが魅力的だったのは、自由を言祝ぐテキストを自由な文体で書いたから……という言葉を読み、試行錯誤を繰り返しつつ自らの手でパフォーマンスを作り出すハイハイが、ローラースケートを履いているのって上手くできているなあ、と思い、そんなことも組み込んでみました。

☆身体のディスクール・日記

タイトルはバルトの「恋愛のディスクール・断章」を捩ったものです。タイトルを何かのパロディにするのが好き!去年秋の「ジャニーズファンは語ることができるか」もスピヴァクを真似したものです。Vol.1の「なんてったってアイドルなんてったってアイドルオタク:「オートリバース」で描かれた少年のイノセンスと苦しみ」はキョンキョンの「なんてったってアイドル」、そしてよいかよ1985年11月号 梅本直志「シングル・レビュー:なんてったってアイドル」の『なぜならぼくたちは、なんてったってアイドル・ファン。アイドル・ファンはやめられない』という一文からヒントを得たものでした。

昨年、ひらいて本を作った際に、工藤庸子の「サロメ誕生:フローベール/ワイルド」、そしてマラルメの「芝居鉛筆書き」を読んだのですが、それ以来、作間の踊る身体が何を記述しているのか……つまり、わたしが彼の身体から何を読みとっているのか、どんなイメージを見ているのか、一度じっくりと考えたい、と思っていました。で、それを実際に形にしたのが今回の文章です。今回は論を展開するのではなく、このブログと同じように、日記形式で書きました。書いてる途中で「今まで通りの形式で書いた方が楽なんだろうなあ」と思ったのですが、それでも日記として気ままに書き連ねていく形を取ったのは、昨年出したVol.2「on the road of AKIBA」の「ジャニーズファンは語ることができるか」において「アイドルおたくの生の言葉を残すには、結局自分自身を表象するしかない」という自分なりの答えを導き出したからです。何事も、まずは自分から!I'm the best これが俺の流儀です(ちょっと違うかも)。

一番悩みながら書いたのは、「少年たち」の桶ダンス、そして桶ダンス批判をどのように受け止めていくか……ということについて書いた「十月十一日 八十年ぶり二回目の肉襦袢論争」。桶ダンスがちょーー気まずく、しょーもないパフォーマンスということは百も承知ですし、「#桶ダンスやめてください」というタグが広まるのも当然のことでしょう。しかしながら、舞踊の歴史を概観すると、官能的身体と芸術的身体を簡単に区別することができないのもまた事実です。同時に、「踊る身体を見たい」という欲求の中に含まれる、官能的身体へ向かう気持ちと、芸術的身体へ向かう気持ちを綺麗に切り分けることも不可能と言えるでしょう。また、ジャニーズは少女たちに「誰かをまなざす」という自由を与えることで、従来的な性別二元制を転覆させました。わたしはそのことに希望を見出し、少年の身体が織り込む言葉には力があると信じています。けれども、桶ダンスはその延長線上に存在しているのです。そして、何よりもわたしはお金を払って「少年たち」のチケットを買い、何も言わずに舞台を見つめている……こうした対立するいくつもの項全てを洗い出し、それらをまるごと受け入れなければ、桶ダンス批判を始めることは出来ないと思ったのです。批判と背中合わせになっているものも一緒に差し出さなければ、建設的な批判は出来ない…….けれども、それは凄く難しいことで(カナサシ風に言うなら、それって僕にはすごく難しい、ですね。この台詞めちゃめちゃ頭の中に出てくる。なんでだろう)何故ならば、対立するもの、矛盾するものを、その対立している構図ごと捉えなければいけないから。不安定なもの、辻褄の合わないものには目を瞑りたくなってしまうのが人間です。けれども、自分の目でそれをみとめなければならない……その難しさ、葛藤を抱えながら書いた日記です。ちなみに、他の日付の日記では、色々あった後に作間の見方が変わった話や、令くんかわいい!!!な話をしています。

最終的に2万文字を超える日記になったのですが、結局何を書いても作間の踊る身体には勝てないのだなあ、と感じました。書いているうちに、自分が並べた言葉全てが偽物のように思えてきたんです。今まで、わたしは作間のパフォーマンスに惚れて作間担になったと思っていたけれど……実際には、作間のパフォーマンスにはどうしたって打ち勝てないことを悟ったから作間担になったのかもしれません。



今回頒布した本は近々boothにて通販開始予定です!通販の情報はこちらでお知らせします~!よろしくお願いいたします。わたしも何冊か在庫持っているのでこの日記の拍手経由での通販も可能です!