儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

偶然性の第三の面である哲学するということは、わたしたちの企てや実践を基礎づけることではない。むしろ、わたしたちの有限性が再び堅固なものにされ定着させられうる土地を見いだす必要から、概念的思考はわたしたちを、その概念的思考が肯定するものの力によって解放するのである。
モニク・ダヴィド=メナール(訳・財津理)『ドゥルーズ精神分析

猪狩さんのおかげで、哲学とは、哲学するとはどういうことなんだろう……とまじめに(?)考えるようになりました。引用した文章は猪狩さんとは反対のことを言っている、ような気がする。哲学は内在平面を作ることが出来る。内在平面。こう、ぐわわわわーーっとどこまでも広がっているようなイメージがあるのですけれど、それを作る、ってどういうことなんだろうかとか考えて、うーんうーんと唸っています。

あと、俳優、さくまりゅーと、という言葉にひっかかりを覚えています。褒められているっていうことは分かっている。このレトリックにそれほどの意味がないということも理解している。でも、じゃにーずじゅにあの、ハイハイジェッツの、アイドルのさくまりゅーとじゃだめなのでしょうか。アイドルはだめ?ボーイズバンドは「認めて」もらえないの?……それと、最近、作間の現場全然入っていないのに大丈夫な自分がいて、それに対して苛立ちと寂しさがある。自分のことなのに。難しいね。永遠に宙吊りされた夢……それは、9月に見ることが叶わなかった、帝国劇場に立つ16歳の作間の姿……があるから一生作間担でいられると思っていたけれど、そんなことはないのかも。あるいは、別のしかたで好きでいられるようになったのかもしれない。