儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

もっと心の中を二人見せ合えたなら答えはつかめるよ

優斗くんと作間のことを考える時にいつも思い出すのは、2019年の春から夏にかけて、何故か裸の少年がDIY番組として放送されていた頃に、優斗くんと作間と(たぶん)猪狩の三人で角材を加工していた時のことです。大して身長は関係はないであろう作業なのに、「さくちゃん背高いから!こっち持って!」と大袈裟に言う優斗くんがなんだかおかしくて、でも作間が出来ること、得意なことを前面に押し出してアピールしてくれるところに気遣いや作間を入れた責任感のようなものが感じられて「やっぱり優斗くんはぐーぐだ」と思ったことを覚えています。サマステのMCで、4人とも優斗くんをいじったのに、何故か作間だけに突っ込んできたことも、わたしには優斗くんなりの優しさに感じました。その姿はもはや、雛を守り、巣立ちの時のために、一羽で生きる術を教え込む親鳥のようにさえ見えたのです。けれども、作間は優斗くんのその優しさに気が付いていなかったんじゃないかと思います。シアタークリエの狭いステージの上で、猪狩と一緒に優斗くんをおちょくってる作間はきっと、自分が優斗くんの庇護下にあるなんて、これっぽっちも思っていなかったことでしょう。そうした作間の姿がより一層、わたしの中における、守る側の優斗くん、守られる側の作間という関係性を強くさせていったのでした。

いつからか、優斗くんと作間に対して、先のような印象を抱くことがなくなりました。勿論、今でも優斗くんは作間のことを凄く気にかけていると思います(それこそ、サマパラで毎公演作間の一人喋りに付き合ってあげていたし)。やっぱり、優斗くんはぐーぐだな、と思う場面も多々あります。けれども、守る-守られるという関係性は、作間から幼さが抜けていくのと並行的になくなっていったように思います。それが作間の成長によるものなのか、はたまた、グループの在り方が変化していったためなのか、あるいは、今まではわたしの頭がおかしかったから「優斗くんはぐーぐだ!!!!」などという妄想を抱いていただけで、頭がいくらかまともになったためなのかは分かりません。ただ、こうした変化は、わたしが「ハイハイジェッツは大人になったな」と感じる要因の一つであるとは思います。それが良いことなのか、悪いことなのか、そういった価値判断は下していない(下せない)のですが、少しだけ寂しさを感じていることだけは書き残しておきます。

ですが、今日(日付が変わってしまったので正確には昨日ですが)放送された優斗くんと作間のお手紙で、久しぶりに、二人の間に守る-守られる、という関係性を見たような気がします。作ちゃん凄いから、作ちゃん何でもできるから……と執拗に言っていた優斗くんが、もう一度現れたように感じられました。多分、ずっと変わらず、優斗くんはそのあたたかな眼差しを持ち続けていたのでしょう。でも、やっぱり作間は優斗くんの優しさの深い部分にまでは気が付いていないような気がして。そのすれ違い、ほんのわずかの距離感が、優斗くんと作間を、なんだか目が離せない二人組にしているのかもしれない……と思いました。……でも、どうして優斗くんと作間でお手紙だったんだろう?そやゆとかそやさくかなあ、と思っていたので驚きました。でもゆとさく好きだから嬉しいです。また何年後かに見返してみたら、もっと違う感想を抱くんだろうな。