儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

卒業しました

先日、無事に大学を卒業しました。本当は高校卒業の時みたいに写真を載せたかったんですけど載せられるようなものがなくて……いや、せっかく袴着たし、瑞稀担と一緒に着物アクスタで撮ろう♡って思ったんですよ!でもなんやかんやでバタバタしていて撮れなかったのです……全然おたくのことと関係ない日記なのでたたみます。


わたしは附属上がりだったので、今の学校に入学したのは15歳の時。つまり、七年間通っていたことになります。長いですね……その頃、令くんはちょうど小学校に上がった頃だったみたいですよ……

つまらないことを言いますが、今振り返ってみると、高校三年間は美しく思えてくるから不思議です。でも、当時は全く異なる環境で生まれ育った人々の中で過ごすことを苦しいと感じる時もあり、日々サバイブしているような……そんな感覚の中で暮らしていました。一方で、学部の四年間は楽しいことだらけだったような気がします。別にそれはイケイケ大学生活を送っていたというわけではなく、単に感染症流行後の生き方がわたしに合っていただけだと思います。結局のところ、高校時代辛かったのは「こうしなきゃいけない」に囚われすぎていたからなんですよね。でも、大学では「こうしなきゃいけない」が全てなくなってしまった。大学生のスタンダードは世界的な感染症の流行により無に還り、わたしたちは今までの規範が全て消え去った世界を歩くことになりました。それがわたしにとっては心地よかった。今考えると一年生の時は割と鬱々としていることも多かったんですけど、それも結局は「大学生はこうあるべき」という考えがあったからなんだと思います。そんなわけで、テニスもスキーも一切やらず、気乗りしない飲み会も華麗に回避し、作間にきゃっきゃしたり、本を作ってみたり、ゆるゆると楽しい日々を送っておりました。

とはいえ、勉強に関しては高校時代以上に悩んでいた、気がします。大学に入って初めて、この世には勉強するために、学問するために生まれてきたような人が居て、わたしはそちら側の人間ではないことを知りました。そんなことは言い訳であり甘えだと言われてしまいそうですが、学部を出てからも組織に所属し、勉強を続けていくためには、適性もお金も周囲の理解も必要で、わたしの手の中には何一つないのだと気付きました。高校までは勉強すれば周りは褒めて喜んでくれた。でも、大学に入るとそうではない。そういうこと。そういう現実をわたしは飲み込まないといけなかった。でも、受け入れることが出来ませんでした。

わたしの専門は傍から見ると何やってるかよく分からないし、なんなら自分でも何やってるのかよく分かっていません(……)後輩、同期、先輩……年数にかかわらず、わたしと同じこと、近いことについて勉強している他の人と比較すると、ああ、自分ってやっぱりだめだなあ、向いていないんだろうな、と何度も思いました。それでも、完全に離れることが出来なかったのは、わたしが粘着質だったこともあるんでしょうけれど、それ以上に、目の前のものに面白さ、不可思議さがあったからだと思います。それに気付けたのは、学ぶ機会を与えてくれた人、支えてくれた人がいたからです。わたしは本当に運がよく、恵まれていた。あらゆる要素、一つでも欠けていたら、今のわたしはいない。そのことを様々な場面で、強く実感しました。それと、この一年間は今までやってきたことが無意味ではなかったと、報われたと思える瞬間が何度かあり……悩んだこと、後悔したことも多かったけれど、わたしはこの道を選んでよかったと、今では堂々と言えます。とはいえ、そうした瞬間を構成している核の部分は他人からの評価であることが多くて、そんなものに意味があるのかと問われれば、うーんという感じでもあるのですが……でも、誰かの物差しが助けになることもありますよね。あと、本当に辛い時はハイハイの曲に助けられていました……「嘘だらけだとしても今は 走り続けて ぴかぴかの未来を 夢見てきっと 本物に変えてみせる」って、なんて良い歌詞なんだ!!!!!と思いながら生活していましたよ……今考えるとほとんどビョーキとしか言えませんが、その時のわたしは大真面目だったんです。

4月からは環境も変わり、茨の道を歩くことになりそうです。上手くいくかは分かりません。正直に言うと凄く不安です。でも、わたしが学ぶこと、それ自体が「あなたは○○なのだから、こうしないといけない」という構文を否定することになると信じています。それに自分で選んだことだから、きっと楽しいに違いない!ちょっとだけ頑張ってみようと思います。


そんなわけで学部生活終了!明日からは通常運転おたく日記です!スプパラの感想真面目に書きます……