儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

背の高いあなたが見下ろしているのよ

最近のいろいろ

☆もしも塾に作間が出るよ
という日記を書こうと思っていたらいつの間にか申し込み締め切りが過ぎ、当落が出ていました。なんだか思うように行かず、うーんうーん……エチュードをやるらしいのですが、果たして作間は関西ジュニアの子たちに囲まれて声を発することが出来るのでしょうか?

☆作間は何をしてみたら良いでしょう
作間さんは数年前にスケートシューズまで買ってアイススケートに熱中していましたが、よくよく考えるとそこまで本気でスケートやる人って周りにいないから凄い。たまにアイススケート習ってる子はいましたが(ちなみに、アイススケートって凄くお金かかるらしいですよ)普通は遊びに行く程度ですよね。どういう経緯でアイススケートやることにしたんだろうか……

☆ジュニアカレンダーが発売されたよ
この前注文したばっかりなので(予約した方が良いということはわかっています……いつの間にか予約期限が過ぎていたんです)未だに手元に届いておりません……発送手配完了になっているからもう少ししたら届くかな?ちなみに2022版のカレンダーはカラマーゾフの三兄弟(涼くん、優斗くん、作間のことをわたしはこう呼んでいます)のパジャマのやつを現在進行形で飾っています♡2023版はじみにゴキズの写真が楽しみ。ブレザーにダッフルコートを合わせているところが私立共学中高一貫校っぽい!はむじん赤コート似合う。早く手に取って見たいです……

☆涼くんが少女漫画原作のドラマに出るよ
涼くんはぜったいにきらきらドラマor映画の男子高校生役をやるべき!!!と思っていたら先生役が決まりました。まだ生徒役の年齢だと思っていたからびっくり!!しかも主演!!凄いです。あらすじに自殺未遂の女子高生と恋愛……と書いてあったので高校教師っぽいやつ?と思ったのですが、作者のツイッターに上がってる第一話を読んだ感じギャグっぽい。深夜にのんびり見るのに良さそうです。それにしても、ハイハイジェッツみんなお仕事沢山で勢いを感じます。これは、本当に本当にこの前のジュニア大賞が最後の大賞だったりするのでは……?

☆旅行にめっちゃ行ってます
国内限定ですが色々なところに行っています。ちょっとずつ旅行のことも書いていきたい!今回は金沢編。

今流行りの21世紀美術館にはもちろん行きました。

インスタでよく見るなぞの椅子は写真撮影の列が出来ていました。インスタ女子目指して撮ってもらおうかと思ったけど断念……

沖縄や東南アジアの地域の島嶼性に着目して作られた作品を集めた企画展が行われていました。いちばん印象的だったのはチャールズ・リム・イー・ヨンの「SEASTATE 8: the grid, whatever whatever whatever」。ばらばらにしたシンガポールの地図をマグネットシートに貼り、壁にくっつけている作品です。組み換え可能な形態を取ることによって、シンガポールの持つ曖昧な境界線……つまり、埋め立てにより国土を広げていること、多様な民族、文化、宗教を抱えていることを表現しているそうです。海に浮かぶ島、というモチーフは隔絶や孤独を連想させますが、一方で境界線を変えることが比較的容易であったり(埋め立てもそうだし、浸食の防止とかもそう)、多国間交流の中継地点になったりと、「~と~の間」の存在と見ることも出来ます。そして、日本も例外ではない……ここで思い出されたのが土井健朗の甘えの構造。土居は対象と溶け合い、一体化を求めることを、甘え、と示したわけですが、この性質が、崖、海岸で囲まれ、波が押し寄せは引き、押し寄せては引き……を繰り返す日本の国土そのものの輪郭線となんとなく重なって見えるなあ、と感じました。それにしても、孤独と曖昧な境界線、その両方を併せ持つ「島」って不思議です。自分自身も「島」に住んでいるのに、今まであまり考えてこなかったのはどうしてだろう。

あと、照屋勇賢「遥か遠くからの未来より」も記憶に残ってます。琉球の伝統的な染色技法の紅型が用いられている作品で、色鮮やかでとてもきれいでした。浮かんでるジュゴンかわいい!その一方で軍用機も柄の一部として入っていて、沖縄に未だ多くの問題が残されていることも感じさせます。この作品を見て思い出したのはながたん。ながたんと青とは1951年、サンフランシスコ平和条約調印の年が舞台になっていて、主権回復をお祝いする街の様子も描かれています。料理人として独り立ちするいち日と、日本の独立を重ね合わせ、更にはお祝いムードの中で浮かれる周さんのかわいらしさが描かれた素敵なシーンなんですけれど、この喜びの空気が何十年も延期され、宙吊りにされている場所がこの国にはあるのですよね。そのことをわたしは普段あまり意識していない……けれども、はっきりとした当事者性を含むこの作品に触れたことで、目を逸らしてはいけないな、と感じました。たまに、単に認識するだけのことに何の意味があるのだ、と主張する人も居ますが、どんな問題もまずはそこに在るということを認めなければ何も始まらないとわたしは思います。無いものとする、矮小化することが、あらゆる障害を生んでいるのではないでしょうか?

あと兼六園も行ってきました。

親不知。

ひらいてのたとえくんが朗読していた中井正一「過剰の意識」の冒頭部分「何年前であったか、親不知子不知のトンネルをでたころであった……」の親不知子不知……つまり、糸魚川の親不知の崖に似ていることから、この名称がつけられたそうです。この看板を見つけ、「どうして親不知?」と呟いたらお友達が教えてくれました。そこまで断崖絶壁!!!!という感じではなかったので水面ギリギリまで近づいて魚を探してみたり、黄昏れたりしながらのんびり過ごしておりました。他にも美味しいものたくさん食べたり着物着たりきらきら大学生(?)旅行を堪能しました。次は京都編(かも)。