儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

同じことを高校生の時から言っている

猪狩が読んでる哲学書ってどんなやつなんだろう?実存主義かしらん?と思っていたら正解を教えてくれました。色々な哲学者の思想を概観している本で、特に好きなのがプラグマティズムだそうです。おおお!ちょっと猪狩さんっぽい気がする!以前、サマパラの挨拶か雑誌のテキストかどこかで、自分にはまだ披露していない特技があるから、もっと磨いて少しずつ出していく……と猪狩が言っていたのですよね。で、わたしにはこれが、RPGでスキルを集めて場面に応じてクリックして出していくような、そんなイメージに見えたのです。自分の経験による知識、技能をある目的を達成するために<使うもの>として考えているところが、なんだかプラグマティズムと重なります。あと、コギトを強く信じていることも猪狩さんらしい気がする。コギトを信じる、というか、思考する私と、在る私の繋がりって言った方が良いのかな。どちらかと言うと、思考する私と在る私の繋がりへの懐疑を唱える考え方にわたしは共鳴してしまうし、そもそも考える私が引き裂かれることはないんだろうか、とかそんなことを思ってしまいます。猪狩さんは自分自身が考え、行動していることに矜持があるんでしょうね。しかし、こうやって考えてみると、やっぱり猪狩さんと高校で同じクラスだったら絶対に仲が悪い、というかわたしが一方的に嫌うことになりそうです(この話ここ4年くらいずっとしてる)。一緒に勉強する人同士だったら考え方の違いはあっても良い、寧ろあった方が面白い気もするけど、高校の教室で机を並べているだけの関係性だと無駄な不和を生じさせる原因になる気がします。直接殴り合いにはならないけど、猪狩さんが友達(作間)と現代文の授業で取り扱った文章について喋っているのを小耳に挟んで「あいつとは考え方が全く違う!!」と思いながら、同じ教室の別の場所で、彼らとは異なる解釈で、同じ文章について友達と議論している……そんな架空の高校生活が目に浮かびます。哲学とは何か、という考え方についても同様で、というのもわたしは「人間はこうである!」とか言われたら「じゃあ動物になりまーす、ダニになりまーす」と思ってしまう捻くれ人間なのです。ていうか、猪狩さんこそ捻くれ人間だと思っていたのに!!意外と素直でまっすぐで、多分わたしはこういうところにケッとなってしまうんでしょうね……じゃあわたしにとって哲学は何なのかと問われると、これに対する答えはまだ持ち合わせていないのですが……でも、様々な「こうである」に対し疑問を、それも多種多様な、幾多の疑問を投げかけるような、そんなものなのかもしれない、と思っています。