儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

憧れのヒーローが君にとっての悪役だなんて思いもよらなかったよ

夏の現場が終わると聞きたくなる曲第一位は瞬きのSummer endかもしれない。


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最近考えているのは、ハイハイは<逃走>しているのではないか、ということ……こういう風に書くと、ネガティブな意味に捉えられそうですが、ルールから逃げる、既存の道から逸れる、という、ポジティブな<逃走>だと思ってほしいです……予定調和はつまらない。もっと自由に。何にも囚われないで、これと決めつけないで、進んでいく。もはや全てのものに当てはまるように、あるいは全てのものに当てはまらないように。そういうやり方で舞台に立ち続ける。そんな子たちだと思うんです。ハイハイはどこまで逃げれば満足するんだろう、どこまで逃げてくれたらわたしは満足するんだろう……そう考えることもあるけれど、多分、わたしは、常に変わりゆくハイハイジェッツ、そして他の何にも当てはまらない、今のわたしには見えていないハイハイジェッツを求めてる。そして、ハイハイはそれに応えてくれている、と思う……だからこそ、現場に入るたびに恐ろしさを感じるんだろうな。あと、話はがらりと変わりますが、昨年出したミニコミで、ジャニヲタの中で使われる独特な言葉遣いを否定しない考え方、それ自体が独自の文化であり、彼女たちなりの表現方法として見る……というようなことを提案しました。しかし最近は、そうした言葉遣いを進んで用いることで「強いおたく」の振りをする、という姿を目にすることがあり、それに対して価値判断はしたくないのですが、個人的には、少なくとも自分はやらない仕草だなあ、と感じております。いつの時代も、おたくの振る舞いの型のようなものがある気がする。別にそれが悪いものだとは思わないんですけれど、やっぱりわたしは誰かのコピーではなく、その人なりの考え方、感じ方を知りたいなあ、と思います。