2日目の夜公演が終わった今、思っていることは二つ。ハイハイジェッツがいつまでもどこまでも続いていってほしいということ。そして、ハイの5人がもし苦しみを抱えているとしたら、それを分かってくれる人、寄り添って支えてくれる人が近くにいてくれたらいいな、ということ。わたしは今まで、ハイのことが好きすぎて、悲しい結末を見たくなくて、幸せな今この瞬間にハイハイジェッツがなくなればいいのに!!!と思うことが少なくなかった。……というか、現場に入るたびにそう思ってた。いつも言ってたのは「東京オリンピックに合わせて2020年にデビュー、2021年にドームを全制覇、2022年に国立競技場公演をやって、ビルボード3週連続1位取って、解散」という非現実的な未来予想図。結局「東京オリンピックに合わせて……」の時点から実現しなかったわけですが、今では終わらなくて良かった、と思ってる。結局のところ、わたしがそんなことを口にできたのは、ハイの5人がまだ子どもで、「伝説」という言葉にも、どこかまだ夢物語のような部分があったからなのだと思う。もちろん、その時々では5人も本気だったと思うし、わたしだって、「きっと5人はずっとハイハイでいてくれる!」って思ってた。でも、こうして、少しずつ大人になって、学生じゃなくなって、アイドル一本になって、広い会場でコンサートが出来るようになってから言う言葉とは重みが違う。この子たちは、本気で人生をハイハイジェッツに賭けているんだと思ったら、終わってほしい、なんてことは軽々しく口にできなくなった。それに、作間が「ハイハイをやめた人生なんて、1ミリも見えてません」なんて言っていたら、そんなの、ずっとアイドルでいてほしいと思ってしまう……リップサービスとか、強がりとか、そんな風に捉えることも出来るけれど、でも、わたしは作間の言葉を信じると決めたから。意志が弱くて何回も「本当に信じていい?」って心の中で聞いてるけど(笑)でも決めたから、わたしはハイハイしか見えてない作間の未来を見続けようと、また決意を新たにしました。
ハイハイが終わってほしくないと思った理由はもう一つあって、それは「ハイの5人が苦しみを抱えているなら、それに寄り添ってくれる人がいてほしい」ということ重なってくるんだけれど、今日の挨拶を聞いて、ハイの子たちにも悩みとか難しさを感じる場面があるんだなあ、と思ったんです。5人も人間だから当たり前だけどね。でも、わたしにとってハイは神様みたいな男の子たちだし、頭では分かっていても、直接本人の口から語られるのはまた違う。やっぱり、言葉として言われると、びっくりしちゃうというか、戸惑うというか……わたしは5人の美しい部分しか見ることが出来ないから知らなかったけれど、それぞれが悩んだり、苦しんだりしながらいくつもの選択をして、そして今のハイハイジェッツがあるんだということを見せつけられたように思う。だとしたら、5人がそれぞれ沢山の選択肢を選び取った結果である今のハイハイジェッツが続いてほしい……し、おたくなんかよりも、もっともっと近い場所で、その苦しみを分かってくれる人、寄り添ってくれる人がいてほしい。どうか、その苦しみがなくなってほしい。当たり前だけど、わたしはわたしが一番大事だし、自分自身が幸せになるためにハイハイのおたくをしてる。でも、それと同じくらいハイの5人の幸せを願ってる。だって、わたしのことを、こんなにも幸せにしてくれるんだから。……確かにね、わたしも美しい物語が読みたいよ。綺麗な言葉で結んでくれたら良いなって思う。隠された部分は無視したい。それでも、どうしたって浮かび上がってくる部分があって、わたしはそれを見なかったことにできないんです。でも、わたしにはそれをどうすることもできなくて、凄く、凄くもどかしい……ハイの5人にずっと幸せでいてほしいのにね。せめて、ハイハイジェッツのことが好きな人間がいるよーってことが伝わっていたら良いな……これはコンサートの感想なのか?そのに(20曲メドレーとか、そのあたりの内容についてもっとちゃんと書きたい編)にきっと続く。