儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

最後のリクエスト for you - いがりそうやくん19歳

子どもはいつから大人になるのか、という問いは、わたしが作間担を自称し始めた頃から抱えているものであり、同時に、作間担としてのテーマでもあります。ハイハイジェッツにおいて、最年少組であり、子どもとして扱われる(わたしがそう扱っている)作間と猪狩を見るときには大抵、この問いについて考えています。作間担になった当初、この問いの答えは成長していく作間と猪狩を追いかけていけば自ずと見つかるはずだろうと踏んでいました。しかし、永遠にそれは見つからないんじゃないだろうか――大人への入り口に立った二人を見て思うのは、そんなことです。

16歳頃の猪狩は、自分の弱さを隠し、言葉という鎧で身を守りながら、「強い自分」を装い、なんとか立っているような少年でした。拡声器を通して、自分で書いたリリックを叫ぶ姿を見るたびに、どこか胸が痛くなったのは、その弱さにわたし自身も覚えがあったからなのだと思います。一方で、矛盾しているように思われるかもしれませんが、わたしはそんな姿に強さと美しさを感じていました。自分自身の中に渦巻く様々な思いを、言葉として伝えていくこと。ほとんどの人はそれが出来ません。自分自身の弱さと向き合うことが、いちばん難しいのです。だから、わたしはそんな猪狩の姿に心を打たれ、自分もこんな風に生きられたら良かったという羨望を抱いたのだと思います。

いつからかは分かりませんが、猪狩の内側にある生々しさが見え難くなった気がします。今の彼は、自分自身をコーティングし、他者に見られる「作り物」としての自分を精巧に作り上げているように思えるのです。猪狩という人間そのものがエンターテイメントになってしまったとも言えるかもしれません。もちろん、今までだって表の部分しか見られなかったわけですが、今までにはなかった「自分を作る」という確固たる思いが存在しているような気がします。

今年の夏、猪狩は、自分自身や周囲、そして自分の作るエンターテイメントに対し、丁寧に一つずつ言葉を紡いでいました。自分が好き、自分の好きな自分でいたい、ステージを承認欲求の場所にはしない、誰かのために作品を作り上げたい……2年前、冗談みたいに「伝説に成る」と言っていた頃とは、明らかに違います。わたしは、あの頃よりも今の方が良いと言いたいわけでも、2年前のクリエ頃の猪狩を「子どもだった」と批判したいわけでもありません。その違いに価値判断を下すことには意味がない。わたしはその変化自体に意味があると考えています。多分、あの頃は、ああいう言い方でしか、夢や理想を語れなかったのでしょう。本気でそう言うことは許されないような、それこそ、おたくでさえ笑ってしまうような空気がありました。でも、今は違う。そうした理想を、現実的な物として言えるようになったのです。大人になったことこともあるでしょうが、それ以上に、自分の身をそのまま全てエンターテイメントに捧げたからこそ、口にできるようになったんじゃないか……そう思うのです。もし環境が良い方へと変わったのだとしたら、それは彼自身が引き寄せた結果なのでしょう。子どもから大人になることとは、また違う時間の流れ方。今のわたしは、そこへ身を投げ出した猪狩しか見ることが出来ません。けれども、わたしはそれを悔やむ気持ちは一切ありません。誰かが全力で生み出すエンターテイメントの面白さをこれからも感じていけること、そのことの方がわたしにとってはよっぽど嬉しいのです。

猪狩蒼弥くん19歳のお誕生日おめでとうございます。この日記を書くためにオートリバースあたりの雑誌を読み返したのですが、猪狩作間の並びってきゃわいくもなるしスタイリッシュにもなるし、毎回印象が変わるのが良いところだな……と思いました。あと夜の街が似合う!19歳もたくさん素敵なステージを見せてください!♡