儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

JOHNNYS' World Next Stage(1/19・17:30開演・帝国劇場)

わたしの憶測……いや、妄想でしかないんですけれど、作間がパフォーマンス中に見せる表情で「ああ、疲れてるんだろうな、歯を食いしばって舞台に立っているんだろうな」という印象を受けるものがあるんです。で、今日、ライフルの時にその表情をしていて、かつ、ライフル側転をしなかったから、途端に心配になってしまった……生の肉体を持ち、息をしている人間が命懸けでそこに立っているという事実を目の当たりにすると泣きたくなるのはどうしてだろう。そして、そんな当たり前のことを、どうしてわたしはいつも忘れてしまっているのだろう……

あと、やっぱりわたしは嬉しそうな顔で板の上に立つ優斗くんを見ると、なんだか全てを許せる、許してしまいたくなるなあ、と思いました。昨年の半ば頃、優斗くん不在サマパラ後くらいから「優斗くんが楽しそうならもうそれでオールオッケー」と思うことがあるんです。例えば、少年たちで心折れかけた時(そういうことがあったんです。説明すると長くなるので昨年のまとめを書きたい気分になったら一緒に書きます……)カテコで胸を張って満面の笑みで三方礼をしている優斗くんを見たら、全てがどうでも良くなってしまった……なんてこともありました。優斗くんのおたくでもないのに、不思議ですよね。今日も0番に立ってネクドリを歌う優斗くんを見ていたら、やっぱり、他のもの全てを投げ出し、ただこの時間を楽しみたい、と思ってしまいました。……多分、わたしはそうした姿に、理想と希望を見出しているんです。自分の常識が通用しない世界へと入り込む。今までの<普通>がなくなり、自分自身が<普通>ではなくなる。優斗くんは義務教育を終え、自分の生きる世界における正しい身のこなしを習得し、ある程度自我が固まり切った頃に、そうした経験をした人だと思います。そして、わたしも15歳の春に似たような体験……と言っても、優斗くんほど異質な世界に身を投じたわけではないけれど……をしました。だからこそ、彼が、そうした世界の真ん中で「この場所こそが自分の居場所だ」と示すような姿を見せていることに、わたしは感動を覚えるのです。わたし自身も、あの頃の自分を認めてあげていいんだと。そして、これから先、どんな道を進んだとしても彼のように堂々と生きていたいと。そう思うんです。あと、新曲のちびっこジュニアがハイハイメンバーそれぞれの得意分野をやっている説もとい、猪狩はローラー、作間はブレイキン、じゃあ他の3人は……?と疑問に思ったところですが、うーん、よく分かりませんでした……得意分野を見せている感はなかった、かな?猪狩と作間だけなのかな?この辺りのことを知りたい!から、誰か伝記に書いてください……