儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

遮る全てに鳴らすKlaxon - いがりそうやくん18歳

本日2020年9月20日はいがりそうやくん18歳のお誕生日です!おめでとう!♡

現場がなかった(ていうか現在進行形でない……)のもそうですし、作間の自粛期間中はずっとぼーっとしていたのもあって、わたしはぼんやりと眺めている程度にしか17歳の猪狩のことを見ていません。それでも16歳の時とは違うなーと感じる部分が多々あって、その中でも特に強く変わったのは、猪狩の自分自身に対する態度だと感じています。

EXシアターで拡声器を持って「俺は俺だ、違いますか?」と毎日毎日叫んでいた16歳の猪狩には、大勢の前でそう言える強さがある一方で、本当はそう思えない、もっと言えば、心の底から先の言葉のように思いたいから叫んでいる、というようなある種の弱さも持ち合わせていたような気がします。わたしには、猪狩の強い言葉や振る舞いは、自分の弱さを隠すための防具のように見えていたのです。だからこそ、猪狩が強く自分らしく生きているように見えるほど、わたしの目には脆弱さを抱えた、美しい少年に映っていました。大人になるということは、自分自身の弱さや隠したい部分を受け入れて、それでも生きていくことだと思います。大人になる前の少年は、そんな自らの弱さを受け入れようともがきます。猪狩の美しさは他の同年代の子と同じように、そうした飲み込めない弱さと、飲み込もうとあがくことで生まれる不安定さからくるものだったのだと思います。

17歳の1年間で猪狩はそんな弱さを受け入れ、自分の中に渦巻くものをも一つのエンターテイメントに昇華させるようになった、気がします。猪狩が「噛み砕いてみてください」と言っていたのでてきとーな自己解釈を振り回しますが、「fence」が彼の理想を詰めたものだとしたら、「Klaxon」は今までの彼や、そこから生まれた願いを込めたリリックなのかなあと思います。誰だってそうですけど、彼もその例に漏れず、今までの人生の中で数えきれないほどの選択をしたり、後悔を抱えたり、はたまた自分ではどうしようもできない理不尽な状況下にさらされたりした経験があるはずです。そして「Klaxon」はそれを描いた曲なんじゃないかなあ、とわたしは思っているのです。特に「振り返れば消せない失敗 やり直せるならもう一回」という歌詞にそれが表れている気がして、というのも、「やり直せるなら~」とは言っているものの「現実的に考えてやり直せるはずがない」という冷静さが感じられるのですよね。それはある程度大人だからこそ受け入れられる非力さのような気がします。と同時に「アクセル踏んでから鳴らすKlaxon」からは、消せない失敗があっても進むしかないという猪狩の覚悟のようなものが感じられて、そこに、少年にはない青年ゆえの強さが見えるのです。

多分、彼のちゅーになところはこれからも続くのでしょうが(笑)まだまだ子どもなんだと思わせてくる場面は減っていくのでしょう。それが寂しい気もしますが、猪狩の作るエンターテイメントが更新されていくことの方が今は楽しみです。忘れるわけないお前はエンターテイナー!

どんどん成長していく猪狩がやっぱりすき!♡車の免許欲しがってるところもdkっぽくてきゃわ!♡いつまでも自分のことが好きって言える猪狩でいてください!18歳のお誕生日おめでとうございます♡