儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

荒野のメガロポスの中で(ミニコミに載せなかった文章)

――ジャニーズ事務所、もう終わりだね。

「ジャニーズ帝国」を築き上げたジャニー喜多川氏が逝去してから、この言葉を何度聞いただろうか。

創設者が亡くなったから終わり。一気に複数の新人グループがデビューしたから終わり。タレントがSNSを始めたから終わり。ジャニーズJr.がTVに頻繁に出演するようになったから終わり。そして、「ジャニーズ帝国」を支えたベテラングループが解散し、事務所を去ったから、終わり。一体あの事務所は何度終わりを迎えたら良いんだろう、作間はまだCDさえ出してないんですけろ――先の言葉をネット上で見かけたり、聞いたりする度、いつもこんな風に心の中で悪態をついている(優斗くんみたいに、「けど」じゃなくて「けろ」って言ったら心が晴れるかなって思ったけれど、そんなことは全くなかった)。

基本的に、わたしはその「終わりだね」という言葉に対して、直接反論することはない。出来ない。何故ならば、「終わりだね」と言われるのは、必ず、何かが起こった時だからだ。多くの場合、その「何か」の中心には、「終わりだね」という言葉を引き出せるくらい注目を集められる人がいる。こうした場合、同じおたくでも、まだまだひよっこな子たちを応援するわたしは、その渦中の人物を応援する人たちとは異なり、ただの部外者だ。

そうした中で、わたしが取るべき、最善の選択肢は「黙ること」だろう。部外者が口を挟む。それが、どれだけ当事者たちを苛立たせるか。2019年9月、自分の意に反して「当事者」になってしまったわたしは(おたくが当事者か否かという議論はここでは置いておきます……が、あの時のわたしは当事者面をする権利くらいはあったと思う……)それを痛感した。

その一方で、「終わりだね」という言葉を口にする人は、ほとんどの場合、わたしよりも、もっと中心から外れた所でへらへらしているだけの、ファンでもなんでもない人たちだ。特にきょーみもないことにわざわざ首を突っ込んで何がしたいのか、と思う反面、そんな言葉に馬鹿正直に傷ついているわたしもいて。結局のところ、この世で一番どーしようもないアホはわたし自身なんだと思う。

帝国の崩壊。そう囁かれる中で頭に過るのは、光GENJIの「荒野のメガロポリス」「PLEASE」だ。

この2曲がリリースされたのは1990年。80年代の輝かしいアイドル文化が廃れ、音楽番組が次々と終わり、いわゆる「アイドル冬の時代」に突入したばかりの頃だった。「最後のスーパーアイドル」という二つ名を持つ光GENJIも例外ではなく、この頃には低迷期に入っていた。前作「太陽がいっぱい」の累計売上枚数が69.3万枚であるのに対し、「荒野のメガロポリス」は26.4万枚。こうした数字の差からも、当時、「アイドル冬の時代」が始まりつつあったことはうかがえるだろう。……それでも、26万枚は、今考えるとめちゃめちゃ売れてるけれど。

さて、「荒野のメガロポリス」「PLEASE」は一つの同じディスクに収録されてリリースされたわけだが、この二作の世界観は繋がっており、前者はメガロポリスの崩壊、後者は救済を描いている。例えば、前者では「誰か 愛を投げて 夜を止めて」と歌われている一方、後者では「愛を投げましょう 夜を止めましょう」と歌われているのである。

朽ちていく都市に残された、自由な身体を持つ少年たち。滅びゆく中で救済を求め、祈りを捧げる……まるで神話、あるいはおとぎ話の世界だ。しかし、その後の彼ら、あるいは日本の運命を知る、現代の私たちには、世紀末やバブル崩壊、更には、アイドル氷河期の予言のように聴こえるのだから不思議なものだ。

HiHi Jetsがこの2曲を歌ったのは、2018年の冬のことだった。

白のスーツ衣装にリボンタイ、ジャニーズの伝統であるローラースケート、そしておとぎ話のような歌。わたしは一瞬で心を奪われ、「やっぱりハイハイジェッツは神様と同じくらい非現実的な男の子なんだ!!だからこの子たちが『神様を信じてる』と言うのなら、わたしも神様を信じたい……!!!」と思ったほどだった(ほとんどビョーキなことは知っています。ほとんどビョーキだからこんなブログをやっているのです……)。

しかし、今思えば、彼らは非現実的な少年の姿で、「終わりだね」と言われてしまうような時代が現実世界にやって来ることを予言していたような気がする。もちろん、こんな主張は後出しじゃんけんで、何の意味も持たないということは理解している。しかし、後出しじゃんけんをしなきゃいけないくらい、わたしは憤りを抱いているのだ。何も知らない人から「終わり」と言われることに、だ。

彼らは、あの時、華麗に舞いながら「崩れていく時代の景色 見つめてた」と歌った。まだ、帝国の長は生きていた。彼らはその人の寵愛を受けていた、はずだ。2年半前のわたしは「溢れる涙 何処に誰に使えばいいの」なんて歌詞は少年だからこそ似合うものだと感じていた。しかし、今となっては、あの絶対的な人物を亡くし、様々なことが起こり、周囲の状況が目まぐるしく変化し、そんな中で青年へと成長した彼らの方が相応しく思える。彼らはあの頃、青年になった未来の自分たちの姿を歌っていたのかもしれない。

果たして、今は、世間一般の人々が言うように「崩れていく時代」なのだろうか。それとも、ジャニーズJr.が特集される度に使われるフレーズとしてお馴染みの「黄金期の再来」なのだろうか。わたしとしては、「崩れていく時代」とはやはり思えない一方で、「黄金期の再来」もなんだかしっくりいかず、もはや「今がどんな時代とかはどうでもいいから、早くハイハイジェッツのCDが欲しいな」という気持ちなのだが(……)ただ、彼らが新しい時代を生きているというのは確かなことだと思う。しかし、いつの時代だってそんなものだろう。常に「今」は新しいのだ。過去の繰り返しではない。それを「終わり」とか「再来」とかって簡単に言い切ってしまうのは、ああ、ナンセンスである。

でも、荒野のメガロポリスの中で祈りを捧げる5人組、という響きは甘美だよなー。崩壊しつつある都市群の中で、ただ愛と光を求める……ああ、なんて美しいのでしょう。そう考えたら帝国の崩壊も悪くないかも。なーんて思うけれど、作間も、他の4人もまだ始まったばかりで、しかもわたしにとっては彼こそ一番なのだ。だから、世間の皆様がどれだけ「崩れていく時代」と言ったって、わたしには、ここが「終わり」とは思えない。そんなわけで、わたしは今日も「終わりどころか始まってすらいませんけど」とぼやきつつ、心の中で全てのものにガンを飛ばしている。……でも、もし本当にここが荒野のメガロポリスだったとしても、作間がいるならそれだけでいいけどね。


本当はミニコミに載せてもらおうと思ったけどやめた文章。やめた理由は「要一くんかっこいい♡大好き♡」という怪文書を載せたかったからです……