儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

羽がなくてもいいよ 僕たちを飛ばすのはJETさ

テレビジョンの表紙が2種類とも公開されてひゃっほーーーいとなっております。和服着てる作間たまらーん!不二家はいちゅーぶの時に瑞稀か誰かから「抹茶の渋い感じが作間っぽい!」と言われていましたがやっぱり作間は和服が似合う子だった!!はだしょうのDVDでも温泉浴衣着てるところを堪能できるっぽいですしめちゃ楽しみ!♡

そんなわけでコロナによる影響で多くの公演の中止が決まりましたが(……)それでも希望を捨てずに今ある楽しいことで目一杯きゃーきゃー騒いでおります。ほぼほぼチケットに表記されている日程通り公演を実施することが絶望的なのは分かっているのですが、それでも「いや行けるっしょ!!もしかしたら突然明日の朝目が覚めたら13月に突入して世界中のコロナウイルスが消滅して症状出てた人皆回復するかもしれないし!!」と非現実的な妄想を続けてしまうのは何故なのでしょう。ちなみにわたしは以前バイト先の人から「祝福された人間」と言われたことがあります。祝福された人間!!!多少の皮肉が含まれていることは勿論分かっているのですが、わたしという人間をこれ以上的確に表す言葉はない気がするので割かし気に入って使っています。多分こういうところが祝福された、と形容される所以なのでしょう。ちなみに、実を言うとこの言葉を言われた当初は「ああん?」と思っていたのです。(そりゃそうだ)そんなある時、そのバイトとはまた違う場所で「羨ましいから」という言葉を盾に自分が気付かないうちに攻撃をされていたことがあって、それ以来、その「羨ましい」という言葉は本心から出た言葉だったのか否か、自分は誰かの「羨ましい」に値することがあるのか否かを真剣に考えていたんですよ。そもそもそんなどう頑張っても答えの出てこないこと、それも自分にまつわることを真剣に考えてしまうような人間は「祝福された人間」以外の何者でもないと思うんですけどね……そんな中で、ふと、高校に上がる前のタイミングでも似たような出来事があったことを思い出したのです。受験が終わってから卒業するまでの、ぼんやりとした時間の中でした何気ない会話。何故その会話をこんなにもはっきりと覚えているのかは自分でもわかりませんが、3年経ってようやく、その時友達から言われた言葉の真意(と言えるかどうかわからないけれど)に気付いたのですよ。当時、本当にその子が、今わたしが想像しているようなことを言葉に含ませていたのかどうかは分かりません。ですが、もし想像通りだったとしたら気が付かずへらへらしていたわたしって祝福された人間以外の何者でもないじゃん……と思い自称するに至ったのです。いや、もはやこれはバカとかアホとかそういう言葉の方が似合うような気も……

ちなみにこの一件以来「羨ましい」という言葉が怖いです。こんなわたしでもたまに人とぶつかってしまうときがあって、そういう時に「あなたのことが羨ましいからそういうことをする人がいるんだよ!」と言って励ましてくれる人っているんですけど、うーんと首をひねってしまうのが正直なところです。どんな理由であれ明らかに攻撃と分かる攻撃をされるのは嫌だし、それなら単に言動が気に食わないとか嫌いとかそういう理由で攻撃される方が、まだ納得できる、気がします。

 

今日久しぶりに高校の時の友達と遊んでめちゃ居心地良いなー楽しいなーと思えたのです。でも、中学の時の友達と遊ぶとどこか居心地の悪さを感じる瞬間があるんですよね。それはきっと上に書いたような思いをぶつけられた経験(と言っても2回だけですが)が全て地元にあるからなのだと思います。ってこんなしょうもないことを書いていたらもう結構遅い時間になっていたよーーーー寝ます……