儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

立ち止まることより 一歩先で倒れることを選ぶ

「作間担であるりりい」が2019年9月のことをどう感じていたのか知りたい、という拍手をいただいたので、書けるか分かりませんが、書いてみようと思います……

当然のことながら、人は変化してゆくものだし、3年という時が経ってしまったから、あの時の感情や思考をそのまま再現することは出来ない。結局、当時の自分が考えていたことなんて、当人であるわたしでさえ、この日記やツイッターを読み返さないと分からない。……けれども、今のわたしも、あの頃について思うことはあるし、今の自分から見たあの時の自分、今の自分から見たあの時の作間、5人という像も存在している。だから、そういうことを、作間が大人になる前に、ここで整理したいと思います。再演ではなく、新たなものとして。


あの時書けなかった後ろ向きなこと、顰蹙を買うであろうことも書いているので追記に入れました。結局、わたし自身が気持ちを整理するために書いたものになってしまったので、第三者が読んで気持ちの良いものではないです……



……正直なところ、わたしはあの一件がなかったら、今、作間担ではなかっただろう、と思っている。あの日の夜、WWWに置かれ、全ての人に開かれているこの日記に書けず、鍵付きのインスタに書いたこと。「この疲れ切った顔の裏に何がある?とか考えていた夏だったから、9月に入って早々これじゃ、なんかもう、ほんとにどうしたらいいかわかんないよ」この一文を読み返して、ああ、そういえばあの件が起こる前にも色々考えていたんだ……と思いだした。あの夏、5人には色々あって、例えば、いつもだったら見逃されていた言葉が取り沙汰されたこともそうだし、セトリに関すること、MCに関すること……ここには書いていなかった(書けなかった)けれど、全てが上手くいった夏だったとは言えなかったと思う(もちろん楽しかったのも本当のことだけれど)。それに加えて、作間はドラマ撮影や、舞台の稽古もあったから、疲労からか本調子じゃないな、と感じる場面もあり、心配すると同時に、この殺人的スケジュールはどうにもならないんだろうか……と思っていた。そして何よりも、自分自身が作間に対して何を思い、どう考えているのかが分からなくなっていた。公演中は、確かに作間のことをかっこいいな、好きだなと思っている。けれども、一歩外に出たらその気持ちはどこかへ消え去ってしまい、先ほどの公演で何をやっていたのかさえ思い出せない……果たして、わたしは本当に作間担なのか、そもそも作間のことが好きなのか、そんな自信さえなくしていた。そういった、作間に関すること、ハイに関すること、自分自身に関すること……様々なことが積み重なり、サマステが終わってから、ドリボが始まるまで、暗闇の中を手探りで進んでいくような約10日間を過ごしていたように思う。多分、そのまま進んでいたら、わたしは作間担を続けられなかっただろう。何故わたしがあの頃、そんなに思い詰めていたのか、何に苦しめられていたのかは今となっては分からない。暑さにやられただけかもしれないし、地下で、人が沢山いて、その上好きな人たちを見られて興奮していたから酸欠状態だったのかもしれないし……ただ、9月に入って、あの件があって、そういった濁流は全て洗い流され、更地になった。わたしはもう一度、零から作間について考えなくてはならない、考えないと作間担を続けられない……いや、作間担だからこそ考えざるを得ない、という状況になった。

日付を跨ぐ直前に、わたしはあの写真を見たわけだけど、ばかやろう、と思いながらも、怒る気にも悲しむ気になれず、ただただ血の気が引くとはこういうことかと感じていた……あの頃のわたしは「アイドルといえども人間だからプライベートは自由だし、おたくは口出しできない」と思っていた(もちろん、今でもその考え方は変わっていないよ。ただ少し変わった部分もあって、これについては後述します)。……でも、これはどうしたって笑い飛ばせない。その写真の文脈、背景を深読みして、ああ、もうこれはだめだと思った。大きい仕事あるのにどうすんだよとか、舞台はどうなる?とか、決定的なものが出ていないから結局は有耶無耶にされるんだろうなとか、でも本当に何もないまま終わってくれるのだろうかとか……様々な思考に支配され、頭をぶち抜かれて、夏の頃抱えていた、もやもやとした感情は全て無に還った。……あの頃のことで不思議だったのは、一日中作間のことを考え、夜には「作間のことが好きだし、まだまだおたくを続けられるはずだ!」と思うのに、朝起きると、どうして何も起こっていない世界に変わっていないのかと絶望し、作間担をやめよう、という考えに変化していたこと。毎日そうだった。もう全てを終わりにしてほしいけれど、舞台にしがみついていてほしい。何か言ってほしいけれど、何も言わず、このままずっと黙っていてほしい。本当のことを知りたいけれど、何も知りたくない……様々な相反する思いの狭間でわたしは狼狽えていた。

で、そんなもやもやした気持ちが多少なりとも晴れたきっかけは、5時間くらいぶっ通しで、今でも仲良くしてくれている作間担のお友達と話したことだったと思う。5分に一回二人で黙り込み、溜息をつきながらお話ししていたのですが、何だかんだで、うおおおお!!作間担続けるぞ!!!地獄の果てまで追いかけてやるから作間も永遠にアイドルやれよ!!!!という気持ちにまで復活した……(あのテンションの上がり方は今思うと異常。空元気だったのかも)。けど、その次の日の夜に、雑誌の差し替えが発表されて、ああ、もうだめなんだな、と悟った。それでも「後悔したくない、もしかしたら明日が最後の日になるかもしれないし、出来ることはやろう。明日を楽しもう」という気持ちがあって、5人全員に手紙を書き、次の日に着る洋服も、アクセサリーも全部準備して寝た。……薄々、間に合わないとは気付いていたよ。それでも、翌日の公演に作間がいない前提で過ごすわけにはいかなかった。謹慎を知ったのは帝劇に向かう電車の中だった。悲しかったけれども、やっぱりな、と思う気持ち、どこかほっとした気持ち……どんどん大きくなっていく騒動に耐えきれなくなっていたから、一旦ここまでね、って強制終了してもらえて良かったという気持ち……もあった。あのまま何もなかったように続いていたら、わたしは作間やハイを見られなくなっていたかもしれない。3日の時点で既に、iPhoneに入れていた5人の画像全てを非表示にしていたから。……でも、削除できなかったことが全てを物語ってもいるのだけれど。

あと、これは今まであまり書いていなかったけれど、ああ、わたしって作間のプライベートのことを知って傷付くんだなあ、ということを知った……はい、平気な振りをしてしっかり傷を負っていました……あああ愚かですみません……アイドルにだってプライベートがあることは分かっているし、舞台の上にいる時以外は自由って、頭ではきちんと理解していたはずだった。でも、実際に何かが起こると、話は変わってくる。人間はそう上手くは出来ていない。いざとなると、理性ではなく感情が主導権を握る……だから、当時は、夢見てたのかよpgrとか、アイドルにだって自由はあるだろう!とか、そういう言説全てがうざったいなあと感じていた(ていうか今でも何らかのスキャンダルが出た際、そういう正論っぽい何かを振りかざしている人を見るたびに、この人なに?だれ?と思っているよ……悲しんだり苦しんだりする権利が誰にだってある。それに水を差す権利を持つ人はいない)。でも今となっては、あの頃は、理想や少年性、神様のような役割など、あらゆるものを作間に背負わせ過ぎていたし、それらが一旦全て砕かれて良かったんじゃないかと思っている。もちろん、今でもわたしが好きなのは、わたしの中で作り上げた理想の「作間」でしかないよ。お人形で、虚構の王子様。けれども、結局のところ、作間の向こう側にいるのはたった一人の生身の人間、男の子なのだと一度分かったことで、現実から少し離れた世界において、虚像と戯れることが可能になった気がする。あの頃は現実の中で、実体のない像と遊んでいたから。

それと、あの頃常に思っていたのは、作間は悪くない、とは言えないけれど、作間のことを好きだと言いたい、ということ。 ……これはもう何回も書いていますね。本当はね、わたしも、他の人みたいに「作間は悪くないよ!」って言ってあげたかった。全部が好きだよ、って言いたかった。そう言える人が羨ましかった。でも、どうしても、そうは言えなかった。なんでだろう、と考えたのだけれど、結局それも「作間担だから」なんだと思う。わたしは「推し」くらいの子だったら無責任に好き好き言えるんだけれど(例えば令くんとか)担当ってなると、こうしてほしいな、とか、こうであってほしい、とか理想ばかり膨らんでいってしまう。厄介で気持ち悪い、ことは自分でも分かっている……でも、何も期待できないような子の担当にはなれないのがわたしなんです。だって、おたくの理想や期待を軽く超えてしまう子、他の子にはない輝きを持つ子を担当にしたのだから。そういったこともあって、あの件含めて、全てを肯定することは出来なかった。……けれども、それでも作間のことが好きな気持ちは変わらなかった。自分で思っていた以上に、作間のことが好きだったんです。めちゃめちゃださいけど、ばかだけど、それでも好き。あの件を通して、わたしは「それでも好き」っていうおたくの仕方があることも知った。そういう位置に落ちつけたのは、あの一件がもたらしてくれた、良かったことの一つだったと思う。

5人、ハイハイジェッツというグループに対して感じていたのは、どういう未来が最も良いのか分からない、ということ。何も起こらなかった世界で、5人で活動することができるのならば、それが一番いい。そんなの当たり前だ。でも、何も起こらなかった世界に戻ることは出来ない。じゃあ、どうすればいい?もう一回5人で活動することになったとして、夏までの続きからやり直せるわけがない。じゃあ、3人で活動すれば良い……なんてことは思えなかった。10日、帝劇の舞台に3人だけで立っているところを見て泣いたわたしが、作間担のわたしがそんなこと思えるはずがない。伝記に掲載された優斗くんの文章を読んでも、日曜日に更新される動画を見ても答えは出なくて、結局1月になっても何が正解なのかは分からなかった。……というか、わたしにそうした判断を下す資格はないと思っていた。ただの一おたくだからっていうこともあるけれど、作間のおたくが言っていいことではない気がしていた。今では、別にそんなの関係ないよねって思うけれど。それと、あの件があってから、5という数字の捉え方が少し変わったかもしれない。それまでは、何があっても5人で、5人じゃないと意味がない、5でいることが絶対条件だと思っていた。けれども、あの件以降、5人だから素敵、5人だから出来ることが増える、といった感覚へと変わっていった。この二つは似ているし、同じことのようにも思えてしまうけれど、わたしの中では全く違う。前者が「5でないと1にはならない」であるのに対し、後者は「5だから多数になれる」という考え方。ドゥルーズガタリ千のプラトー(もしかしたらアンチオイディプスだったかも)を書いた際に、それぞれが複数人だったから、二人が揃うだけで多数になった……という言葉を残しているんだけれど、それに近いことだと思っている。誰かと繋がらなくても、ハイのメンバー一人ひとりの中には豊かな世界が広がっているよ。でも、一人ひとりの潜在性を更に広げてゆくために、5人でいることが必要……そんな風に思うようになった。もちろん、ずっと5人でいてほしいとは今でも思っている。5人じゃないハイハイジェッツは考えられない。けれども、一人ひとりでもやっていけるだろうし、一人ひとりに輝きがある。だからこそ、そんな5人が集まったら素敵だよね……そう思うようになった。なんというか、既に完成された一人ひとりの集合として、ハイハイジェッツを見るようになった、気がする。一言で言うのならば、緩やかな個人主義への転換。それが良いことなのかはまだ分からないけれどね。

年が明けて、5人からのコメントが発表されて、わたしは9月よりも、もっともっと苦しくなった……まず、出てきたのが、作間のコメントへのやるせなさ。他の人とか、誰かに求められて、ではなく、自分の意志で戻ってきてほしかった。全てを背負えよ、と思ったよ。でも、あんな文章を書くほど、まだ幼い作間に、それを求めることはできない。同時に、こんな子どもに人々は酷い言葉を投げかけていたのか、そして今後もそれが続くのか……という絶望が大きくなっていった。……それでも、輝かしい未来を信じたかった。好きだから。作間の夢、わたしも一緒に背負うよって思っちゃったから。誰が書いたのか分からない5人での伝記とか、パッケージ化された物語とか、そういう些細なこと全部が苦しかった。底が見えないほど深く、激しい逆流の中に投げ込まれたような気分だった。……でも、わたしの心配は全て杞憂に終わった。2019年なんかすぐに追い越してしまったし、5人でいることが当たり前になって、あの件も過去のものになっていった。……でも、わたしの中ではなかったことになんかできなくて、いつも頭の片隅に残っていた。だからこそ、五騎当千の最終公演、フロントラインの後、優斗くんの挨拶には救われた。DVDには入らなかった……カットすべき、と判断された部分。五人で活動できなくなった、という言葉。優斗くんが言うべきではない、誰も触れるべきではない、と思う人もいたかもしれないけれど……わたしは優斗くんにこそ言ってほしかったよ。「僕の夢は夢のままで終わるんだ」って言っていた口で、台本に書かれたものではない、本当の優斗くんの言葉を聞きたかったから。多分、わたしは優斗くんに夢を見過ぎています。優斗くんが、あまりにも作間に優しいから。でも、ああいう風に優斗くんが言葉にしてくれたことで、ああ、わたしだけじゃないんだ、5人もあのことをなかったことにせず、そのまま受け入れて前に進んでいるんだって思えた……だから、あの秋のことを思い出そうとすると、有楽町の駅前や、帝劇のロビーだけじゃなくて、雨の降る夜の代々木体育も見えるんだと思う。ここで、ようやく、あの秋が終わったって思えたから。

今、作間のことが好きで好きで大好きで、それこそ、たまにりゅうとくんとか呼んじゃうくらい好きで……ずっと変わらない高いパフォーマンス力も、どんどん変化していくビジュアルも、あの秋のことも、全部ひっくるめて作間のことが好き。好きになった当初よりも、ずっとずっと今の方が好きって思えてる……3年前の今頃のわたしは、まさかそんな未来が来るなんて、思ってもなかったよ。そろそろ、あの件のこともすっぱり忘れた方が良いんだろうな、と思うけれど、それはどうしたって出来ないこと。五騎当千で全てを終わらせることができた気になっているけれど、やっぱり思い出して、また同じ場所をぐるぐる回ることもあると思う。……けれど、それでもいいかなって今は思えています。優斗くんが決意を新たにするために、あの時のことを口に出したように、わたし自身にとっても前へ進むために、避けては通れないものであるはずだから。作間が「以前の自分に戻りたい、と思ったことはない」と言ったように、わたしも今までのこと全部そのまま受け入れて、これからも作間とハイハイジェッツの夢の何分の一、何百分の一を一緒に背負ってやろうかな、と思っています!