儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

もう今夜の素肌は冷めない まだまだ帰れない

結局毎日更新はできていませんが、なるべく毎日更新、ということで許してください……

というわけで、行ってきました、EXシアター、サマステ、ミライボーイズにじゅうよん!with作間。家の扉を開けたら雨が降っていて、その時点で予定が狂い結局途中の駅でガンダすることに。似たようなことを高校三年生の時にも、大学一年生の時にもやっているわけですが、どうしてわたしは学ばないのでしょう……

久しぶりのEXシアターは何もかもが変わっていて、たとえば一般のチケットは名前と電話番号を別紙に記入しないと入れないし、エスカレーターではなく、裏の階段へ動線が作られていて、柵の前後で行き来ができないようになっていました。でも、何もかもが変わってしまっても、またあの頃みたいにわたしの誕生日に作間がEXシアターのステージに立ってくれるなんて、運命って言ってもいいかなあ、とかそんなことを考えていました……あああ、あほなこと言ってすみません……公演そのものについての感想はまた後で書くとして、とにかく今回は作間のこと。ほっさまでサマステTシャツ着た作間が、あのいつもの眠たそうな目で出てきて、わたしの体温はぎゅるんぎゅるんと上がった。元気いっぱい踊るちっこい子たちに囲まれて、一人大きな図体でゆるゆると踊っていて、なんだか不思議な気持ちになった。だって、あの頃は、こんな光景をこの場所で目にすることになるなんて、思ってもみなかったから。でも、不思議と寂しいと思う気持ちはなくて、それよりも作間に会えたという多幸感でいっぱいで、ふわふわしていた……サマキンでは作間が「サマーキング」として登場!優斗くんが平野の台詞をそのまま言っていたといううわさを聞いたから楽しみにしていたのだけれど、楽屋でカレー食べてシャツ汚したとかそんなことを言っていて拍子抜け(笑)でもこういう台詞を躱すのはやっぱり作間!って感じがします。そして、おいさんではバブルガンをちっこい子(誰だったんだろう?)から渡してもらうも、受け取って良いものかどうか分からなかったのか返したりもう一回押し付けられたりもちゃもちゃ。その末に結局受け取って楽しそうにシャボン玉を量産しておりました。MCではまずミラボの自己紹介!作間は一人ずつに一言感想を言っていたのですが、最後の方は「いいね~」しか言っておらず、千井野からどうですか!?と聞かれても「いいね~」と返しておりました(笑)やっぱり千井野の方がちゃんとしてるじゃないか!!!!お次はミラボからの質問コーナー。MC担当は竹村へ。「これ沢山答えた方が良いよね」とどんどん質問箱から紙を引いていく作間。答えるよりも先にどんどこどんどこ引いていくので竹村も作間も紙を常に手に持っている状態で答えていました。個人的に好きだったのはなおちゃんの「作間くんってサイコパスですよね?」と竹村の千井野なりすまし!竹村は千井野と作間の組み合わせにおたくが沸く、ということを理解しているようでした。でもわたしは作間と千井野よりも、作間と優斗(不在)に沸いた人間です。「昨日は高橋がすみません」とぺこぺこする作間!!「音が鳴ったので次に行きます、高橋は粘ったようですが……」と優斗の話をする作間!!!!!これはゆとさく案件ですよ!!!!!MC後は見学席に戻ったようですが(下手側に入ってしまい、見学先が見えなかった。りりい一生の不覚。でもそのおかげで光様に集中できたと思えば……光様だけに、光様デラックス、光様すぎてを楽しめたのは下手に入ったからだと思うことにします。この話は明日以降書きます)アンコールでは再度登場!周りのちっこい子を見ながら即興でCDCGを踊っておりました。でも、前にこの振り付けで踊っていたことあるような、ないような……なかったかな?アメイジングサマーでは4年ぶり?に鯉に餌をやるような作間が!!外周から手を振る作間をじいと見つめる時間が、人混みの中で双眼鏡から覗く時間が好きだったな、と、そう思いだしました。

あんなに、作間のことを前みたいに好きとは思えない、そんな自分が許せない、と書いておきながら、EXシアターにいる作間を眺めていたらまた前みたいな気持ちが戻ってきたのだから、やっぱりわたしは夏の六本木に何か忘れ物をしているんだと思います。でもそれは前みたいな気持ちなだけであって、以前と全く同じ気持ちというわけではない。きっと、わたしは昨日の公演で、別のしかたの好き、を理解したのだと思う。今にも朽ち落ちそうなこの肉体を支えるために、作間に縋っていたわたしはもうどこにもいません。今はもっと穏やかな気持ちで、彼のことを見ている。わたしは「作間が居なかったら今わたしはここにいないだろう」とよく思うんですけれど、それはまた別のわたしがこの場所に居たであろう、ということではなく、わたしは存在しなかったであろう、ということを意味しています。わたしは文字通り作間に生かされている人間です。作間が居なかったら全てを捨てていました。だから、別のしかたの好きを手にした今でもわたしは作間に執着していて、そして今後作間以外のアイドルを好きになるときが来たとしても、その姿の中に作間を探してしまうんだと思います。わたしの全ては作間によって作り変えられてしまったから。わたしは作間に呪われているんだね。でも不思議とそれを悪いことだとはこれっぽちも思っていなくて、(ばからしいことだとは思っているけれど)むしろ幸せなことだと感じている。多分わたしは作間からもらった何かを六本木のあの道の横断歩道に、あるいはエスカレーターに、フロアに、地下一階のロビーに忘れてきてしまっていて、昨日それを掴んだはずなのに、自分のものにすることはできなくて……だからわたしは今でもまだ作間担でいられるんだと思います。いつかちゃんと拾える日が来るのかなあ。いつか拾えたら良いけれど、その後も、わたしは作間担でいられるんでしょうか?作間から全部をもらっちゃったら、もう用無し、ということで、おたくをやめちゃうのかな?それとも、更に別のしかたの好き、に変わるのかな?