儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

抱えきれない臆病に 突っ張ったって笑っていたい

あらたに三重の×印の家を三つ、二重×を四つぼくはつくった。刑の執行をおえた家には斜線をひいて区別した。物理の法則にのっとってぼくの地図は書きくわえられ、書きなおされ消された。ぼくは広大なとてつもなく獰猛でしかもやさしい精神そのものとして物理のノートにむかいあった。ぼくは完全な精神、ぼくはつくりあげて破壊する者、ぼくは神だった。
中上健次『十九歳の地図』

逃げる。既に出来上がった道から逃げる。血から逃げる。

リゾームはこれとはまったく異なるもので、地図であって複写ではない。複写ではなく、地図を作ること。(中略)地図は自己に閉じこもった無意識を複製するのではなく、無意識を構築するのだ。地図は諸部分の接続に向かい、器官なき身体の封鎖解除に、それら器官なき身体を存立平面上へと最大限に開くことに向かう。地図はそれ自体リゾームの一部をなしているのだ。地図は開かれたものであり、そのあらゆる次元において接続可能なもの、分解可能、裏返し可能なものであり、たえず変更を受け入れることが可能なものである。
ジル・ドゥルーズ フェリックス・ガタリ 訳 宇野邦一小沢秋広・田中敏彦・豊崎光一・宮林寛・守中高明千のプラトー:資本主義と分裂症 上』

線を引くこと。逃げること。地図を作っていくこと……高校の授業で先生が言っていたこと、二つ並べた名前の意味が、最近ようやくわかってきた気がします。もう卒業から三年以上が経っているのに! 学ぶということは、誰かから何かを教わったその時点で完結するのではなく、その点同士が結ばれ、更に自分の外にあるものと繋がってゆくことで発展していき、終着点などどこにもないのだとつくづく実感しています。19歳の頃、18歳で人生が終わっていればどんなに良かっただろう、と思ったことがあります。温かな小さな箱庭から出ないで、そのままでいられたら良かっただろう……と。けれども、あれから3年が経ち思うのは、外に出て良かったということ。外に出ることで、あの頃教えてもらったことに新しい記述を加え、その先へ進むことができました。そう考えると、今もわたしは19歳で、でも19歳ではない……と言えるのかもしれません。……16歳と18歳の2歳の差は結構大きいぞ!19歳と21歳よりも大きい!!と感じていましたが、こうやって考えると19歳と21歳の差もなかなか大きいんじゃないか、なんて思います。作間が今何を思っているのか、知りたいけれど、どんなふうに変わっていくのか、その過程を見ていきたい気持ちもあって……わたしはいつまで作間担でいられるのでしょう? ちなみに現在22歳のわたしは、千井野くんってかわいいな……って思っております……ずっとミニ薮って呼んでたけど、もうしっかりしていますね。高校生ですもんね……作間の毎日更新よりも千井野くんからの質問動画の方がちゃんとしていて、後ろにひっくり返りそうになりましたが……このゆるさが作間らしくていいですね。那須くんに声かけて動画撮ったんですかね。それとも急に動画回したんでしょうか……(どうでもいいことばかり気になってしまう)