儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

あの桟橋から船を出して 見知らぬ銀河に滑り込んだ

ブーストの中間報告にかえて。思ったことをただただそのまま書いているだけのメモです。色々と、ごめんなさい。わたしなりに作間を好きでいるための第一歩なんです、きっと。


4年くらい前のわたしは「作間を永遠にアイドルに縛り付けておきたいから、デビューしてほしい」と思っていた。でも、今のわたしはそんなことを思ってはいなくて、むしろ作間は永遠とはいかなくても、永遠に近い年月をアイドルに捧げるだろうと確信していて、そして、「もしも、<わたしは作間担だ>という言葉が救済ではなく呪縛になっているのだとしたら、もう二度とそんなこと、口にしたくない」とふと思ってしまった……

作間のソロ曲はいつでも正解をくれるみたいで、たまにぞっとする時さえある。たとえば、2021年夏のブラシンはわたしがずっと求めていた、アイドルとしての優しさを持った作間の姿を映し出してくれたし、五騎当千のdon't wanna dieはわたしが今まで作間の中に見出していた希望をそのまま言葉にしてくれたみたいだった(あの問題作、作間&作間も?って聞かれそうだけれど、それに関しては、うーんうーん、置いておきます……)。初めての単独アリーナツアー、ブーストでの作間のソロ曲は「FILM」。わたしは耳から言葉を聞くよりも眼で追う方が好きで、本人が目の前にいるのに勿体ないとは思いつつも、歌を楽しむためにLEDモニタの歌詞表示を目で追うことがたまにある。

ずっと前のことだから よく覚えていない
もう慣れてる関係だからかな さみしいね
たしか出会った頃はさ もっと満ち溢れ
痛みさえ感じなかった 今とどう 違うのかな

有明公演でぼんやりと歌詞を見つめて思ったのはやっぱり、どうしてこの子のソロ曲は毎回毎回こうもわたしの考えていることをそのままに描き出すんだろう?ということだった。

わたしはずっと、作間のために生きたかったし、作間のおかげで生きて来られた。わたしの望むものがこの手の中にはないと知り、反対方向へ舵を切った時だって、作間の誕生日まで頑張る、作間を好きになった日まで頑張る、作間も頑張ってるから、と考えれば耐えられた。表面上はきれいに生きて来られたのは全部作間のおかげだし、作間がいなかったら今のわたしはいない。担当は本当に好きな一人だけじゃなきゃ許せなかったし、掛け持ちしてる人を見て心の中で「良いよねそうやって上手く生きられる人は」って妬んでた。その一方でばかみたいな優越感に浸ってもいた。作間のことを好きじゃなくなる日が来るなんて想像できなかったし、永遠なんてないと知りながらも、終焉は永遠に宙吊りにされていると信じていた。けれども、今、その日が近づいてきているのが身体で分かる。この目は確かに作間の姿をとらえているのに、皮膚の下は冷たい血液がゆっくりゆっくりと流れている。優斗と作間が手をぱちんと合わせる音がこの耳まで届くくらい近いのに、平熱のままで、冷静な頭で、彼のことを見つめていた。

作間のことを嫌いになったわけじゃない。今でも好きだし、凄くかっこいいと思う。ぴかぴかの今までの5人がモニタに流れるところだって、大切に切り取った雑誌の一ページや、iPhoneのカメラロールのお気に入りに設定した写真が出てきて嬉しかったし、懐かしい衣装を着て太鼓を叩く姿だって愛おしかった。久しぶりのReady to riseから、そのままNever stop~を歌う一連の流れだって、今と昔が繋がったみたいで胸がいっぱいになったし、そういえばこの衣装作間の20歳のお誕生日公演で着てたやつだって思えばますます嬉しくなった。昔の姿を追ってるだけじゃなくて、初めて歌ったファンタスティックライドはおしゃれで今のハイハイに合ってるなって思ったし、5人一列ぴょんぴょん飛び跳ねながら花道を通ってゆく姿はかっこいいのにかわいくて、頭がくらくらするくらいだった。好き、好きなのに、なんで、って自分でも思う。読んでいないのに消えてゆく伝記と、溜まっていく録画と、まだ再生できていないはいちゅーぶ。今月分の少クラなんてまだ一回も見ていない。

作間のことを好きじゃないわたしを、わたしは許せない。ずっと作間のことを好きでいたいと、どうしても願ってしまう。そのくらい魅力的な子だから。素敵な踊りをする子だから。なのに、前みたいに好きとは言えなくて、苛立ちが止まらない。もういっそのこと、お休みした方が良いんじゃないかと思って、有明の最後の公演のファンタスティックライドでずっとずっと双眼鏡を覗いていたら、やっぱりわたしの好きな作間がそこにいて、何度も見たあの脚の使い方身体の躍動があって、ちょっとだけ泣けてしまった。作間担やめたくないしお休みもしたくないなって思ってしまった。どうしたら良いんだろう?これからもずっと好きなんて嘘は言えないし、けれども好きじゃなくなったわけでもない。作間担をお休みします、という曖昧な宣言だってできない。またわたしは前みたいに作間のことを好きでいられるかな?それとも別のしかたを見つけるべき?どうしよう?気が付けば会場は凄く大きくて、作間は挨拶でハイハイジェッツの中にいる自分の話ではなく、客席に座る一人ひとりへの感謝を口にするようになって、「皆がついてきてくれたら俺たちずーっとどこまでも5人で居られるから!」って言葉も聞かなくなった。でもそんなことは本当は一切関係なくて(だってわたしは相変わらず5人の新国立競技場公演を待ち望んでいるのだから)、結局のところわたし自身の問題なんだと思う。喜べよ、望んだ通り作間はずっとステージに立ちますって顔をするようになったんだから、と自分に言い聞かせてもあの頃みたいには思えなくて、寂しい。わたしの方が先にここから立ち去ることになるかもしれないなんて、思わなかったから。





恋に堕ちた瞬間 お互いを疑うことは無かった
はっきりと覚えているよ
その時の感覚はこれからも そっと二人で感じていたい

やっぱり作間のソロ曲はわたしのことを映してるんだ!って、思えたらいいな。