儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

あの頃より大人になったし もっと素敵に恋しよう! - さくまりゅうとくん20歳

本日、2022年9月30日は作間龍斗くん20歳のお誕生日です。おめでとうございます。この部分を書いている今現在は、まだお誕生日当日を迎えていないのですけど、9月30日、20歳、と数字をタイプするだけでも、なんだかどきどきしています。自分の20歳の誕生日よりも、ずっとずっと心待ちにしていて、今もなんだか実感が湧かないのですが……でも、本当に20歳なるんですよね。

今まで、作間について思っていること、考えたことのうち、書けることは全てこの日記に記録してきたつもりです。逆に言えば、思っていないことは書いてこなかったし、書けないと思ったことについての記述もしてこなかった。この日記は、客観的に眺めると不足があるけれど、わたしにとってはその時々で常に完全な記録なのです。……けれども、時が経ったからこそ、書けるものもある。だから、繰り返しになってしまう部分も出てくるとは思いますが、毎年そうしているように、19歳の作間について、今思っていること、考えていることを書き留めておこうと思います。

以下、19歳の作間に関する覚書。


1.I don’t wanna die.
何度も書いているけれど、ハイハイジェッツ初単独アリーナクラス公演、国立代々木競技場第一体育館、五騎当千は、わたしにとって、ある種試練のようなものだった。空調とわたしの体の相性が悪かったことがその主な原因なわけだけど(我ながら本当にしょーもない。人生やり直せるなら五騎当千に着て行く服を考え直します)あれから10か月強が経ち、こうやって手元にディスクが届き、冷静に映像を見返した今、良い公演だったな……と思えるから不思議だ。

五騎当千という公演に対し、後ろ向きなファーストインプレッションを抱いてしまった理由は、結局のところ、ハイハイジェッツと作間ではなく、わたし自身の問題だったのだと思う。空調と換気に耐えうる服装で来いというのも勿論ですが(……)それ以上に、わたしは歪んだ眼鏡で公演を見ていた。流れている音、振付、声、その一つ一つにどこか既視感があり、居心地の良さや安心感を抱くと同時に、自分のつまらなさに絶望した。既存のものはいらない。新しいものが欲しい。常に変化していくもの。その時々、その一瞬でひらいていくもの。そういったものを求めていたはずなのに、自分でも気づかないうちにわたしは代々木体育館で思い出を見つめていて……こんな気持ちでおたくをするんだったら辞めた方が良い、とさえ思った。同時に、もしもこの子たちが、今まで積み重ねてきたものだけをこの公演で見せようとしているのだったら、わたしは着いていけないだろう、と感じた。焼き増しフィルムなんか見たくない。再演ではなく、新しいものを見せてほしい。けれども、広い会場を縦横無尽に駆け抜ける5人の姿に胸が熱くなったのも確かで……まとまりのない感情を抱えながら、一日目の夜、電車に乗った。……でも、そんなばかなことを考えていたのは、結局のところわたし一人だけで、ハイハイは前しか見つめていなかった。作間は最終公演の挨拶で「前の自分に戻りたいとは思わない」とはっきり言い切った。その言葉がなんだか嬉しくて、ああ、わたしも前を向いていようと思えた……けれども、一度思ってしまったこと、引っかかってしまったもことはそう簡単には消えない。わたしは全てを代々木体育館に置いて帰ることができなかった。

でも、五騎当千のディスクが届いて、改めて映像で見ることで、ようやく気持ちを整理することができた、と思う。裏側密着や、作間以外の子のパフォーマンスをしっかり見られたことも、その理由の一つにはなるんだけれど、いちばんのきっかけは、やっぱり作間のソロ。作間の声で、I don’t wanna die.と歌われたから……なんだか、たまらない気持ちになった。ねえ、わたしはそう思っているんだよ、と言いたくなったのだ。わたしだけじゃないこと。他の人にもあること。例えば、人よりも少しだけ体調が良くないこととか、平均点に達しないものが多すぎるとか、そういう、誰にでもあること。ありふれたこと。でも、わたしにとってはその一つ一つが重過ぎて、この先もずっと自分で背負わなければならないということがあまりにも苦しくて、正直、もう抱えきれないと思ったことが何回もあった。そういうものを軽くしてくれた人。この子が頑張ってるならわたしも、って思わせてくれる人。作間はそういう存在だなって改めて気が付いた。支えてくれた……なんて言ったら、流石にそれは大袈裟だし、わたしがそんなことを口にするなんて烏滸がましい。ただ、勝手に縋っていただけ。でも、作間がいてくれたから、と感じる場面が今までに何度もあって……そのことに、感謝したくなった。なんだか、本当にしょうもないね。ちっぽけな人生だ。でも、そのちっぽけな人生を進んでいくために、わたしには作間の存在が必要だった瞬間が何回もあったんです。わたしは作間のことが好きで、それはかっこいいな、可愛いな、とか、この子の肉体を読みたいとか、そういう思いもあるんだけど……実は、人として尊敬している部分もあるんです。わたしは作間からたくさんのものをもらっている。それをはっきりと自覚した。ばかみたいだけどね、わたしは作間に負けたくないんです。作間が前を向くならわたしも前を向くし、作間が先に進むなら、わたしも歩みを止めない。作間が今までのこと全てを刻んだ肉体で踊っているように、わたしも今までのこと、おたくのことも、それ以外のことも全部手のひらに刻んで。抱えるのではなく、自分の一部にして。そうやって前進していきたい。前向きな気持ちが、あの秋の日に抱えたネガティブな気持ちを上回った……その瞬間に、わたしはようやく五騎当千を終えることができたのだと思う。……なんだか、子どもっぽい言葉ばかり連ねているね。わたしの幼い思考が透けていて、嫌になる。でも、もう、そうやって生きるしかない。誰だって、きれいなものや、失敗ではない道を選びたがるし、わたしだって本当はそうしたい。でも、わたしはそんなに美しくは生きられない。そうやって、ここまで来てしまった。でも、その代わりに得られたものを大切にして、作間がくれるものは全部受け取って、進んでいこうと思います。I don't wanna die. そう思わせてくれてありがとう。



2.おやすみなさい。
19歳の作間を語るうえで外せないのは、伝記で紡がれた言葉だったとわたしは勝手に思っている。伝記。それぞれ5日に一回担当、みんなで毎日更新。普段の話し言葉やパフォーマンスでは見られない、5人それぞれの色が出ていて、新鮮な発見をいつもしているのだけれど……この一年間の作間の更新は、特に、驚かされることが多かったように思う。強い言葉。正直な思いが滲む言葉……ほんの一部分かもしれないけれど、作間の内面に近づけたような気がして、その一つ一つが嬉しかった。

わたしはずっと、作間のことが分からない、と思いながらおたくをしてきた。作間担の子と話した時にも、作間は何を考えているか分からない、それゆえ作間担は結構難易度が高いんじゃないか……という結論に至ったこともあったし、他の子のおたくの人から、作間は完璧すぎて機械みたい、と言われ、反論したい気持ちがありつつも、なんだか納得してしまうこともあった。……でもね、作間は多分、わたしが思っていたよりも、優しい子。この一年の伝記を通してそう感じた。強い言葉をそのまま投げつけたままにしないこと。たぶん、意識的に柔らかい言葉を使ってくれること。そういう言葉の選び方に、人柄が垣間見えた気がしたんです。それに、わざわざ髪の毛染めていません、と伝えるために、ブログでワンクッション挟んでから3分間の動画を撮る子なんて、なかなかいないと思う。多分、それは作間のまめな性格、きっちりやりたい性格も関係しているんだけれど……わたしはそれを、優しさとして受け止めた。そんな風にしてくれたら、もっともっと好きになってしまう!甘い言葉よりも、読み手がいると意識しながら書いてくれる言葉、取ってくれる行動にわたしは弱いんです。

この場合の優しさは、身近な人に対して抱く、優しい、という印象とは少し違っている。あくまでもアイドルとしての優しさを持っている、ということだ。アイドルなんて結局赤の他人だから、内面なんてわからない。良いように見せることなんていくらでもできるし、解釈だって自由。でも、たとえ作られた姿であったとしても、作ろうとしたその姿勢こそがアイドルとしての優しさだとわたしは思う。だから、結局真実がどうであれ、わたしは作間の言葉を嬉しく感じてしまうんです。それにね、どうしたって誤魔化せない部分があると思う。口で喋っている際に、少し乱暴な言葉が出てきてしまうのと同じで、書き言葉だって完全にはコントロールできないと思う。だから、ちょっとばかばかしいかな、なんて思いながらも、わたしは作間の言葉を正直に受け止めてしまうんです。……あと、強い意志を持った言葉も好き。昨日の伝記。そっちに行ってやる、という言葉、嬉しかった。あんなにはっきり書くなんて、思ってなかった。コンサートの挨拶でも、ハイハイやメンバーについて話すことは多いけれど、おたくに対してこうしてほしいとか、これからのことについて語る印象が正直ない。だからこそ、こうやってたまに、熱い部分を見せられると、わたしはやられてしまう。そんなの、手を離せなくなってしまうよ。

最近はきゃぴきゃぴしてる……つまり、等身大の男の子っぽいところが見えたと思える瞬間が少なくなってきた。それは作間が大人になって、子どもみたいにはしゃぐことが少なくなったこともあるんだろうけれど、アイドルとしての自我が固まってきたことも理由の一つなのだと思う。そのことが寂しい気もするけれど……意識的に楽しませようとしてくれてる部分が増えてきたと考えれば、そのことはやっぱり嬉しい!だってそれは、こちら側のことを思ってくれているということなのだから。これから先、作間がどんなアイドルになるのか、今はまだ想像できない(だって、わたしは作間がこんな言葉を書くようになるということさえ、予想できていなかったのだから)。だからこそ、恐ろしい気持ちもあるし、楽しみでもある。わたしは不器用だし物分かりが悪いから、やっぱり正直に受け取ることができないこともあるだろう。でも、作間のことが好きなのは本当。だから、これからも、自分なりのやり方で、作間のことを好きでいようと思います。

以上、19歳の作間についての覚書。




以前、少しだけ書いたような気もしますが、わたしは作間担を自称し始めたころから、作間が大人になり、自分の子ども時代を思い出したときに、幸せな時間だった、と思えるようにおたくをしたい……と考えていました。そのためにわたしができることなんて、ほんの少ししかないでしょうし、もしかしたらそんなもの存在していないのかもしれません。あるいは、何もしないことこそが、そのために必要なことだったのかもしれない。でも、わたしは何かがしたくて……その思いが走り出した結果がこの日記だったのかもしれません。本当に毒にも薬にもならないインターネットデブリ……そんなわたしの奇行はさておき、いつか作間が10代のこと……特にハイティーンの頃について語ってくれるときが来てほしい、と思っています。その時に、どんなふうに話してくれるかな。幸せだった、と言ってくれたらわたしも嬉しいです。

あと、上には書けなかったけれど、わたしは何も欲しくないです、みたいな顔して結構強欲だし、かわいいことを言えないくせに作間のことが好きすぎて破裂しそうになることもあるし、人と比べて落ち込んだり、良いなあって思ってしまうこともあるし……幼稚なおたくということに(今更だけど)気が付いた1年でもありました。もっとちゃんとしたいな、と思うこともあるけれど……好きになってしまったものは仕方がない。考えや思考は切り替えることができるけれど、理性から外れた場所にある気持ちは変えようがないし、素直に生きるしかない。素直に生きたい。だから、わたしは今自分が抱いている、作間のことが好き、という気持ちを大切に、その思いに嘘をつかないでいたい、と思います。

作間龍斗くん、20歳のお誕生日おめでとう!16歳の作間よりも、大人になった今の方がずっと、ずっと好き!今まで、たくさんのものをくれてありがとう。これからも好きでいさせてください!