儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

タニタ作間の良い例を思い出しました!!いつかのはいちゅーぶで「かわいい人は?」的な質問に作間が自分で自分の名前を挙げて「は?」みたいな空気になった時です!!!!あれはニタニタ作間だった!!気がします!!!

さて、この前コッペリア見に行きました。ローラン・プティが振り付けたコッペリアは以前、映像で少しだけ触れて以来、いつか劇場で見たいなあ、と思っていたので実際に観劇できて感動です。特にコッペリウスとコッペリアの踊り!わたしはこれが見たかったのです!プティ版では、コッペリウスの足にコッペリアの足をゴムでつけて一緒に踊る振りになっているんですよ!この二人の踊りを含む、コッペリウスの家でのシーンがわたしは凄く、凄く好きなのです。燕尾服に身を包み、外では「ちゃんと」している老紳士のコッペリウス。ですが、実は何歳も年下の少女・スワルニダに思いを寄せています。気持ちを伝えられないコッペリウスは、スワルニダそっくりのお人形を作り、一緒に暮らしているのです。椅子に座らせ、一緒にお酒を飲んで食事を楽しみ、くるくると踊る……踊り終わった後のコッペリアの扱いが少々雑な点だけ残念ですが(もっと大切そうに抱えてほしい。コッペリアは一緒に暮らす恋人でしょう?)嬉しそうに踊るコッペリウスの軽い足取りにはうっとりしてしまいます。誰にも言わず、こっそりと胸にしまっている一人だけの……いや、コッペリアと二人だけの幸福な時間がそこにはあるんです。けれども、この秘密はスワルニダとフランツの身勝手な行動が発端で町中に知られてしまい、人々から「かわいそうな人」という蔑みの眼を向けられ、そして愛しいお人形を失ってしまう冷酷な結末を迎えます。けれども、コッペリウスは本当に「かわいそうな人」だったのでしょうか?コッペリウスが抱きかかえていたものは、公演リーフレットに書いてある通り「愛の似姿」だったのかもしれません。けれども、彼がその時に感じていた幸福が偽物だったと、「ちゃんと」したものではなかったと赤の他人が言うことは出来るのでしょうか?確かに、スワルニダと同じ顔をした自動人形を作り、一緒に生活している点には不気味さもありますが、誰かを振り向かせるために、他人の家に忍び込み、それだけでなく触れられたくない領域に土足で踏み込む二人の方が、よっぽど「ちゃんと」していないように見えます。こんなことが言えるのは、わたしが生身の男の子をお人形に仕立て上げるような「ちゃんと」していない人間だからなのかもしれませんが……

もとになった小説も読んでみようと思い、砂男をぱらぱらとめくっているわけですが……かわいらしさのあるプティ版コッペリアからは想像もできないくらいおどろおどろしいのですが……まだ開始数ページですが、ナタナエルは目玉を取られかけるし、お父さんは焼け焦げて死んでしまいました。砂男を取り上げたフロイトの論文のタイトルが「不気味なもの」ですから、この後も明るくなることはないんでしょうね……とりあえず最後まで読んでみます。ちなみに、今月はホフマン物語が上演されるようです。こちらも見に行きたいですが、3時間40分と長いことだけ心配。芸術的な感性も教養もないわたしが果たして楽しめるのでしょうか……