儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

恋の終わりはいつも突然すぎじゃない?

わたしは作間のことが好き。好きで、好きで好きで、好きだから作間担を自称していて……でも、たまに、もう好きじゃないのかも、って思う。そう思うのは大抵の場合、作間の中に、16歳の頃の姿が見えなくなった瞬間で、結局わたしはわたしが好きになった頃の作間を追い求めてるんだと気がつく。途端に全てを投げ出したくなる。

「あ、わたしこの子のパフォ好きなんだな」って強く思わされます。と同時に後ろで踊ってるときの方が2月以前の何考えてんのかいまいちわからないような表情のときも多くて、いつか、本当に後ろで踊ることがなくなったときに「あ、やっぱり分かんないんだな」っていうこの気持ちも失われるのかなあ、と不思議な感情で見ていました。

GUILTYは初日「あれ、作間少しだけ大人っぽくなった?」と思った曲だったんですけど、それから3週間経ったこの日は特に何も思わなくて、なんというか、こうやって少しずつ気づかないうちに幼さが抜けてくんだろうなと思ったのでした。気が付いたら兄組みたいに本当の大人になっちゃうのかな。なんか想像できないな(笑)

鮮やかな夏を思い出すと悲しくなる。もう手に入らないものがそこにはあるから。けれども、覚悟を決め、痛みを飲み込みながら、20歳の彼をきちんと見つめると、大人になったその姿に屈服するもう一人のわたしが現れる。かつてのわたしは作間のことを知りたくて、愛でたくて、必死に手を伸ばしていた。でも今のわたしは、そんなことはしない。できない。彼を見ると身体は硬直してしまう。動くことは許されない。確かな力があり、ねじ伏せられてしまう。以前から作間のパフォーマンスが好きで、毎回毎回圧倒されてきたけれど……最近は、ああ、勝てないな、この身体には歯向かえないな、と感じる。でも、そうした気持ちの持続時間はほんのわずかだ。あの頃の作間と今の作間は同じ人物のはずなのに、違う人のように思える。その間に存在するはずのスペクトラムが見えないのはどうしてだろう?