儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

恋人よどうか泣かないで

昨日から、作間がかっこいいよおおおおおおおおおおおおおおおおあああああああああああああああああああああああああ!!!!!しか言えない人間になっています。かっこいい!!!かっこいいよーー!!!!はあ……5秒に一回ため息をついております。ここからしょーもないことを書き連ねるので怒らないでください。東京大空襲の急げ若者で、作間は国民服を着てるんですけど、あの、あのあの、それがめちゃめちゃかっこいいんです!!!!はあ。かっこいい。かっこいいです。似合う似合わないの話ではなく、限界ぎりぎりの表情をした作間が国民服を着て走り回ってるという絵面に萌えを感じてしまいました。以前、わたしは高校生の若さにときめいているのではなく、校則に縛られている姿に萌えているのだー!的なことを書いたことがあった気がしますが、規模は違えど、それと同じような気持ちを抱きました。何かを制限されている姿、自分ではどうしようもできない状況にあることに、わたしは美しさを見出してしまうのでしょう……自由を言祝ぐ人でありたい、と常々思っていますが、それとは相反する欲望をも持ち合わせているのです。はあ。この溜息は自分のしょーもなさへの呆れと作間かっこいい!!!!!!!!の二つの意味を含んでおります。あとルパンタップの時にラジオ体操を崩したダンスをするんですけど、それも良かった!一幕で国によって死に追いやられる若者の姿を描いた後に、二幕で「理想的な国民の身のこなし」を作り上げるラジオ体操を崩して踊るんですよ!!「模範的な国民」という型を嘲笑っているようで、同じ身体でも動きによって全く違う意味を持たせられるんだなあ、と。いや、同じ身体だからこそ、皮肉や批判の色を帯びるのかも。身体を使った表現の面白いところはこういうところにあるのかもしれませんね。あとタップはたいしょーの銭形警部完コピが凄すぎます。一人だけ走り方、肩と腕の位置が銭形警部そのままです。作間を追っていたはずなのに気付いたらたいしょーばかり見ていました…………はあ、作間かっこいい……(脈絡もなくすみません、5秒に一回これを言わないとしんでしまうの許してください)2023年のわたしは作間だいすきキャラでいこうと思います。