儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

いつからこの気持ち変わったんだろう?

私たちは、こう答えるでしょう。みなさんは〔哲学によって〕欲望から、現前-不在の法則から、負債の法則から逃れられませんし、どのような逃げ場も見出せないでしょう。まさにそのことによって、避難所とほど遠い活動のなかで、みなさんは言わなければならないことや、しなければならないことを名指す責任に、いいかえればみなさんが(いわば)「それに対して」働きかけようとしている世界のなかの隠れた意味作用をみなさんの全責任で記録し、理解し、書き取る責任に、どのような省察よりも公然とさらされることになるでしょう。
ジャン=フランソワ・リオタール(訳:松葉祥一)「なぜ哲学するのか?」

欠如が現前しているから、統一性が失われたから、欲望が生じる。そして、欲望から哲学は生じる。哲学は、現実と強く結びつき、現実を反映しているが、しかし、現実の外に置かれ、別の言葉に書き換えられている……つまり欺かれている。欠如に支えられていること、外側に置かれていること、それらのために、哲学は無力だ。欠如に支えられているものが、欠如を埋めることなんてできるのだろうか?本当に必要なのは、解釈することではなく変革なのに、哲学はそのための力を持ち合わせていないように見える。けれども、変革とは、既に存在している意味に言葉を与え、解放するということ。これは哲学の言葉の使い方……あえて言葉にすることで、力を付与する……と重なっている。我々はこうした言葉を用いることで、隠れた意味を露呈させ、世界を理解し、そして変革することが可能である……ということなんでしょうか。ああ、なんだかよく分かりません。迂回しつつ、一年後くらいにまた読んで、読めた、と思えたらいいな……しかし、これが教養課程の講義内容って、どういうこっちゃ。バカロレアで哲学が出題されるとはいえ、果たしてどのくらいの学生が理解できるのでしょう、と首をかしげましたが、アホな自分基準で物事を考えてはいけませんね。あと、解説の中で、現代のフランス哲学においては、多が前景に置かれるように思えるけど、リオタールは多と一の関係を問題にしたんだよ!と書かれていました。ドゥルーズは(確か、多分、きっと)ツリーとリゾームに優劣をつけてはいないけれど、リゾーム重視のような感覚があるので、この本で書かれている統一性への欲望に引っかかりがあったというか、ドゥルーズとの違いを感じました。それと、3章の言葉に関する記述は凄く面白かった!言葉にし、名指すことで、今そこにあるものを捉えることが出来る……こうしたことを受けて思ったのは、何故、言葉にすることで、あらゆるものが陳腐なものに成り下がってしまうような気がするのか、ということ。わたしは全てのものを言葉にして分かりたいと願う一方で、言語化したくない、という気持ちをも持ち合わせています。何故ならば、心を揺すぶってくる衝撃や、圧倒的な力であったとしても、言葉にした途端、ありふれたもののように感じられてしまうから。ここに、名指すこと、言葉にすることの力が存在しているのではないか、とわたしは思っています。結局わたしが使える言葉は、わたしの知っている言葉。既知のものでしかない。目新しいものに言葉を与えることは、未知の出来事や感情を既知の言葉に引き寄せ、その範囲の中で理解するということ。だから、言葉にした途端、色褪せて見えるのでしょうね。言葉にしたい、捉えたい。けれども、わたしの手の届く範囲に、それを置きたくない……言葉にしたいけどしたくない、という矛盾した気持ちの根本にあるのは、きっとそうした感情でしょう。とはいえ、言語化していく過程の中で、自分でも気が付かなかったものを見つけたり、予想外の生成が起こったり……言葉によって生まれるものがあるのも本当のこと。だからこそ、言葉にしたい、という欲望がなくならないのだと思います。

お試しで最近ここに読書日記を書いていますが、うーん、どうでしょう。ノートに書くよりもラップトップを使った方が楽ではある!キーボードさいこー!!が、しかし、ネットに垂れ流すものでもないかな、という気持ちもあり。八本脚の蝶みたいに、日常のあれこれと読んだ本のことを一緒に書いておけば、その頃何をして、何を読み、何を考えていたのか、ひとまとまりで後から振り返れて良いんじゃないだろうか、と思ったのですが……もう少し考えてみます。

そういえば!猪狩の毎日更新についに作間が登場しました!前髪が短くてかわいいです。短い方がおぼこく見える気がする。どうしたってわたしは少年っぽい見た目の方が好きなので、こちらの方が好みです。伸ばした前髪を分けてるのも悪くないな、と思えるようになってきたこの頃でしたが、やっぱり短めの方が幼さがあってときめきます。もう一回短髪にしてほしいなあ、と思っているんですが、本人的には長いのと短いの、どちらの方が好きなんでしょう?冬帝劇が短髪だったら凄く凄く嬉しい!!けど、なんとなく、少年たち同様に後半へ行くにつれて、徐々に真ん中分けの割合が多くなっていく予感がしております。作間は髪の毛短めも似合うんだよ!!ということをインターネットのすみっこで叫ぶことしかわたしには出来ないのか……