儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

私はなぜ、好きな人の間男になったのだろう!

ひらいての首藤監督のトークイベントのレポなどをぼんやりと見て思ったことがあったのでメモ程度に残しておきます。

監督はホテルのシーンについて「あの後、愛は一人でその場を立ち去り、たとえと美雪は初めて肉体関係を持った」という裏設定を作っていたようです。だから=美雪ともう一度向き合い直し、余裕ができたから、その後たとえは愛ちゃんとの関係性を変えていくことができた、という解釈もあるでしょう。けれども、わたしはそうは思いません。

ユリイカ11月号 綿矢りさ特集において、水上文は「蹴りたい背中」「ひらいて」における少女の欲望の描かれ方として「男性の欲望対象を欲望する」という構図をとっていると指摘しています。愛ちゃんは美雪のことが好きだから、美雪を求めたわけではありません。美雪がたとえの恋人だったから=たとえの欲望対象だったから、自分の本心に嘘をつきながらも、美雪と肉体関係を持ったのでした。では、何故愛ちゃんは「たとえが好きだから」美雪を襲う……という行動に出たのでしょう? 二人をめちゃくちゃにしたい、その場の成り行き、そういった側面もあったと思います(だって愛ちゃん絶対にあの場面になるまで「美雪を抱いてやろう!」なんて思ってないでしょ。美雪の言葉を聞いて決めたでしょ)。けれども、同時に、愛ちゃんは美雪、すなわち、たとえが愛を注いでいる相手を抱くことで、間接的にたとえの愛情を受け取っていたのではないでしょうか。「男性(この場合、特に<好きな人>なわけですが)の欲望対象を欲望する」背景には、その欲望を自分もぶつけられたい、という気持ちがあるはずです。一方で、たとえは別にそんな気持ちから美雪と肉体関係を持ったわけではありません。純粋に、美雪のことが好きなだけです。けれども、たとえも、愛ちゃんと既に肉体関係を持っている美雪を抱いたことで、愛ちゃんの気持ち――愛ちゃんと美雪の間でひらきつつある関係性、打算的な気持ちから始まり、歪で奇妙だけれども、愛ちゃんを大きく動かすような、三人の関係を変えてしまうような特別な感情を、間接的に受け取ったんじゃないか。だから、たとえは折り鶴の桜が舞う中、愛ちゃんと素直に話すことができたんじゃないか……そう思うのです。

たとえの「もういいよ」という台詞ですが、わたしはこれを小説で読んだときは、あきらめの「もういいよ」、「あーこいつまともに話してくれねーな、素直に話した俺がバカだったな」の「もういいよ」だと思ったんです。一方で、映画では愛ちゃんをゆるすニュアンスが含まれているような気がして、それはなんでだろう、とずっと考えていました。今回、裏設定の話を知り、「もしかしたら、たとえは美雪と肉体関係を持つことで、愛ちゃんの苦悩や、愛ちゃんの『思い通りにいかない気持ち』に気づいたから、そういう言い方になったんじゃないか……」なんてことをふと思いました。……こんなことを書いている暇ないのに!!勉強しないといけないのに!!!次回、愛ちゃんと七つのヴェールの踊りの話、または美雪と弥市の話(まだまだひらいての話続けます)。