儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

少年たち あの空を見上げて(10/10・17:00開演・新橋演舞場)

作間を見ても全然気持ちが昂らない自分自身にがっかりした……けれど、わたしが見ていたのは作間ではなく、サクマ。別人だ。少年たちは演劇年鑑にもしっかりと記載されている、れっきとした演劇作品。だから、わたしの心の動きは正しいのだ……と言い聞かせている。ちなみにジャニアイは演劇作品ではない、らしい。ドリボは演劇作品で、2020年版演劇年鑑(つまり、2019年の作品一覧が掲載されている)によると、役名ユウトの正式表記は「Yuto」で、ソウヤは「Soya」だし、ミズキは「Mizuki」。これは初めて知った。作間と涼くんの名前はありませんでした。そういう扱いになるんですね。どうでもいい話ですみません、少年たちの話に戻ります。そんなわけで、ぼんやりと舞台を眺めていたわけだけれど、ドロップミュージックで、ローラーを履いて踊ってる作間を見たら、またいつものように、好きだ好きだ、って気持ちになったから、先の記述はあながち間違いではないと思っている。どうかな。どうだろう。そもそも彼らはアイドルのプロだから、アイドルをしている瞬間=パフォーマンスをしている瞬間に、観客を最も沸かすのは当然のことだし、そう考えると演劇とショータイムがセットになった今回の少年たちを見ている際のわたしの感情に波があることも当たり前だろう。……こうやって沢山の言葉を並べていることが、全てを物語っているのかもしれない……

今回の観劇で考えたのは、ミズキは何故弟にあそこまでの愛情を注いでいるのか?ということ……リュウガは自分のせいで脚が動かなくなってしまった……と分かりやすい設定があるわけですが、ミズキと弟に関しては謎。病弱な弟を可哀そうに思っているだけではなんだか納得がいかない。本当はミズキも両親に優しくされたかった、けれども弟優先なことは仕方がない、だから両親にされたかったこと、両親から与えてほしかった愛情を、弟に与えることで満たされようとしている……か、優しい兄を演じることで、両親からの評価を得ようとしているか……

それと、少年の身体について。若く軽い身体にわたしは魅力を感じるのですが、ゴキズたちのダンスを見て、それは、それはもう楽しい、という感情に全身を支配されてしまった!なんというか、ああ、良いですね……ぎゅっとかわいい。かわいいんだけど、かわいいだけじゃない。あの自由な身体にうっとりしてしまいました。銀志はダンス上手いけどこなれすぎていないというか、エネルギー全部出し切っている感じ、何かに引っ張られているような感じがして、それが良いなあ、なんて思いました。やっぱりはいびー11人と比べると身体が小さいから、軽さを持っている気がする!でも、ローラーに履き替えると、それが一転するから不思議だ。ハイハイは自分の足とローラースケートの境界が溶け切っている。だから、本物の子どもよりも速度があるんだと思う。……永遠の子どもって呼べるのかな?と同時に、ゴキズがローラーを自分たちのものにしてしまった時が怖い、という気持ちにもなりました。

なんだか気分が落ち切っているので名古屋までに持ち直したいと思います。