儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

まだまだそれじゃ足りないとても

  
最初、白のスーツ衣装で出てきたときは、作間が帝劇に戻ってきたんだ、作間の好きな季節、わたしの大好きな場所にもう一度立ってくれたんだって、涙が出るほど嬉しかったのに、踊ってる姿を見続けているうちに、なんだかいろいろなことが分からなくなってしまった。以前の分からない、とは違う分からない。分からないから好き。分かりたいから好き。ここ最近、あまりにもアイドルらしい要素を見せてくれていたから、その気持ちをなくしてしまったのかもしれない。わたしの好きな作間って、わたしの好きな作間のダンス、パフォーマンスって、どんなものだったかな。3年前の自分に聞きたくなった。自分のことなのに分からないなんて、矛盾している。まっすぐに構えた太鼓のバチも、手に吸い付くようなライフルも、しなやかな動き、飛ぶようなステップも、全部、わたしの好きなそれだった、と思う。ノットイナフもLGTTもかっこよかった。けれども何かが違うような気がして、でも何が違うのかはやっぱり分からない。
もし、~~だから作間が好き、と理由をきちんと言語化できるようなおたくだったら、こんな悩みは抱かなかっただろう。でもわたしは違う。そんなにロジカルな気持ちで作間を好きになったわけじゃない。気が付いたら作間を好きになっていて、理由は後付けだった。だから、目の前のものを信じられなくなったらすべてが終わりだ。でも、信じられなくなった、と言い切ることもできない。いつもの「現場の最初に落ち込む病」かもしれないし、あるいはあまりの寒さにテンションがダダ下がりしてるだけの可能性もあるし。とはいえ、この違和感を無視することはできない。
……極力避けたいんだけど、どうしようもなくて、ツイッターで検索した、ら、昨日まではブレイキンの作間の出番が物凄く多くて、きつそうで、でも今日の公演から減らされていた、らしい。私が感じ取ったのはその背景にあったと推測されることなのか、はたまた別のことなのか。仮に前者だったとしたら、それを感じ取ってしまうのは良いことなのか悪いことなのか。申し訳ない気持ちとか、次の公演に入るのが怖い気持ちとか、様々な思いが混じりあっている中、自転車を漕いでいたら、滑って自転車ごとひっくり返りました。気合いを入れなおせという神のお告げか、あるいは天罰か……