儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

マージナル・マン 待ちうけて ふたりで乗り越えたい! - さくまりゅうとくん19歳

作間龍斗くん19歳のお誕生日おめでとうございます。

言いたいこと、考えていることは沢山あるはずなのに、こうしていざラップトップの前に座ると、何を書けば良いのか分からなくなってしまいました。何か書けるとしても、それはきっと全て以前ここに書いたことの焼き増し。わたしは覚えていられる容量が凄く小さくて、書かないと全てを忘れてしまうんです。だから、わたしの中に残っていることは、そのままこの日記に書いたことになってしまう。それでも折角のお誕生日なのだから、心の中を整理するために、今思っていること、考えていることをここに書き留めておこうと思います。

以下、18歳の作間の覚書。


1.羽がなくてもいいよ
作間が18歳の間に披露したステージの中で(といってもコロナの影響でそのほとんどが映像だったけれど)ランキングをつけるとしたら、チュムチュム、To-y2のトロンボーン、サマパラ$10~Lucky Man、クラッシュビートあたりが入るんだけれど、その中でも群を抜いているのが、去年11月の配信のHiHi Jetsメドレー。理由としては、ちょうどハイジェの歌詞について考えていた時期だったこともあるし、to the moon、帝劇バージョン、ノーマルバージョンと全てのバージョンを繋げて歌ったこと、他の大勢のジュニアの子たちをバックにつけて歌ったことも印象的だったんだけれど、それ以上に、to the moonに作間のソロパートが作られたことが嬉しかった。

以前にも書いたけれど、ハイハイははしみずのもとに、はしみずのために生まれたグループであり、to the moonはハイハイの根幹に存在する曲だとわたしは思っている。だから、この曲を涼くんと瑞稀が歌うのは当たり前なこと。逆に言えば、わたしみたいな新規のおたくはその聖域に触れてはいけない。そのくらい、大切な曲。その曲に作間と、猪狩と優斗くんのソロパートが出来たということ。それは、今の5人体制がまとまった一つの形として認められたように、この体制でずっと進んでいくと彼ら自身が誓っているように思えて、わたしはたまらなく胸が熱くなった。

同時にそれは、救済でもあった。わたしはこの5人のハイハイしか知らない。他の体制のハイハイを知らない。グループに入っていなかった頃の作間も、知らない。それがずっとコンプレックスだった。過去形で書いたけれど、本当は今だってそう。他の人みたいに語れることなんて、何一つない。他の人が昔の作間のことを話すたびに、新規のわたしには何も言う権利がないんだと突き付けられたような気持ちになっている。そして、そんな些細なことで落ち込む自分が嫌でたまらない。けれど、to the moonで作間がソロパート歌ったときに、この子は今、ハイハイジェッツにいて、そしてわたしは今の作間とハイハイが好きなんだという当たり前のことにもう一度気付かされた。わたしは過去を知らない。でもその代わりに、今の作間のことがいちばん好き。だから、自分が作間担である根拠を、その「好き」に求めれば良い。あのソロパートを聞いて、わたしはちょっとだけ作間担としての自信(ってなんだよって感じだけど)を得た。当たり前だけれど、そんな風にすぐに割り切れるものではないし、今だって、わたしなんかが作間担って名乗って良いの?っていう気持ちが物凄く強いのも事実。本当はこうやって偉そうにおめでとう日記なんか書いてもいいんだろうかっていう気持ちさえある。年数だけじゃない。いわゆるお強いおたくにもなれないし、作間の全てを肯定し、全てを愛せるおたくにもなれない。前に進んでいくハイハイを直視できないことだってある。なんならはだしょーは溜めているし、雑誌も全然買ってないし、買ったものも全く読んでいない……あとハイハイの日のあいらんどてぃーびーも全部見ていない……こうして書き出すとないないづくしだ。多分、おたくとしてはぎりぎり及第点。それでもわたしは自分を作間担だと言いたい。自分の「好き」をどうにか処理するためにはそれが必要なのだ。

作間がハイハイについて語る時、もっと言えば、ハイハイに自分の全てを捧げると口にするたびに、わたしはいつも怖くなる。その言葉を言って後悔しない?本当に自分の全てを捧げてくれるの?わたしも、5人を望んでいいの?いくつもの後ろ向きな疑問符が浮かぶ。一方で、その言葉を聞きたかったという気持ちが湧き上がるのも本当のこと。作間がハイに対する思いを話すたび、わたしはこの子を好きでいていいんだと思える。わたしは5人のハイと、その中にいる作間しか知らないけれど、今の作間がそれを大切にしているんだからそれでいい。その開き直りはわたしの心を軽くさせた。わたしはネガティブであまのじゃくだから、作間の言ってくれる優しい言葉をそのまま受け入れることがなかなかできないけれど、本当のところはその一つ一つに救われているんだと思う。それに、「私の夢はハイハイジェッツの夢そのものです」という言葉が出たあの頃とは、発言の重みが違う、気がする。現実味を帯びた言葉。その端々から作間が前へ進んでいることが感じられて、やっぱりわたしはだめだから、その姿に圧倒され委縮してしまうこともあるんだけれど、本当は嬉しい気持ちや素直に喜べる自分もいるんです。そういえば、ひらいて関係の雑誌を読んで気が付いたけれど、18歳の作間は以前よりも、ハイハイに対する思いを言葉にすることが多くなったような気がする。この一年間は、作間関係で落ち込むことがそこまでなくて(一時期が異常だっただけかもしれないけれど)おたく関係では割と穏やかに過ごせていたんだけれど、それは作間がハイハイのことを沢山話してくれたからなのかもしれない……


2.Black Cinderella
サマパラ、特に作間のソロについての感想をあまりちゃんと書けなかったことを、実は今になって後悔している。というのも、あれからまだ2か月くらいしか経っていないのに全く記憶が残っていないのだ。けれども、書けなかったのは仕方がないとどこか認めてしまっている自分がいるのもまた事実。思うに、夏の私は、あのパフォーマンスに対して言葉が持てなかったのだろう。見ているときは思うことが沢山あるはずなのに、幕が下りるとたちまち全てを忘れてしまう。それはいつものこと。けれども、今年の夏のソロに関してはわたしの中の色んな感情や、今までに見たり聞いたりしたことがぶつかり合い、それらが壁となり、残った断片から言葉を生み出すことが出来なかった。作間がどうしてこの曲を選んだのか、未だにその理由をずっと考えている。いつも通りメンバーが選んでくれた、と雑誌では言っていたけれど、それを最終的に選び取り受け入れたのは作間自身。そこにどんな思いがあったのか、それを知りたくて、でも知りたくない。

作間は毎公演、曲の最後で口角を上げて小さく笑っていたんだけれど、それは明らかに意図的に作り上げられた表情だった。誰かに見られることを意識した、アイドルらしいパフォーマンス。ソロ以外でも、最後にやったコンサート、2019年サマステとは見違えるほどにファンサの数が増えた。本人もそう言っていた。わたしはずっと「作間のことが分からない!」と言っていたけれど、それとは正反対の位置にある姿。そこで思い出されるのは、「単にダンスとアクロバットをこなせばいいわけじゃない」という趣旨の、いつかの言葉だ。もしかして、今の作間には、今までのパフォーマンス最重視とは違う価値観があって、それがブラシンの選曲理由の一つなんじゃないか。そう思う。そう思う、けれど、なんとなくそれを言うのが怖い。もし事実だったとしても、作間の口からそれを聞くのは更に怖い。それは、わたしの中において、職としてのアイドルではなく、人ではないものとしてのアイドルへ変わりゆく作間の姿を認めることと同義だからだ。

雑誌で作間は、今までファンサをあまりしてこなかった理由について、「たくさんやったら自分じゃなくなるような気もしていて」と言っていた。曖昧で、どういう風にも取れる言葉。「ファンサをあまりしない」という自分のイメージが崩れるという意味か、それとも自分が削られていくという意味か。毎月出る雑誌の、小さく掲載された一文。読み流せばいいはずなのに、そこから様々なことを勘繰ってしまう。「アイドルらしい」アイドルになることを遮っていたもの、それを乗り越えて良かったの?もともと、作間をお人形のように扱っていたわたしに、そんなことを問う資格なんてない。それでも、そう問いたくなるのは、私自身が第三者によって勝手にお人形にされたことがあるからなのだろう。同時に、そう問うことが失礼だということも分かっている。だって、作間が選んだこと。以前にも書いたけれど、作間の前向きな選択全てを認め、あの子が目指す未来をわたしも一緒に見ていたいといつだって思っている。それに、ああ、正直に白状します。本当は、そう振舞ってくれたことが嬉しかった。「アイドルらしくないね」と他の人から言われる度、頷きながらも「でも」と反論したかった。わたしにとってはいつだって作間が世界一のアイドルだった。作間は優しいんだよって、ちゃんとアイドルとしての優しさを振りまいてくれるんだよって言いたかった。他の人に対してもそうだけど、何よりも、自分自身にそう言いたかった。アイドルとして生きようとする姿。怖がりながらも本当はいつだってそれを求めていた。だから、ちゃんと自分の目でそれを確かめられたサマパラ期間は凄く幸せだった。

サマパラのまとめにも書いたけれど、この夏わたしが目にしたのは接続と切断を繰り返しながら、常に変わってゆくハイハイの姿だった。どこまでも続く流れの中を、ローラースケートで滑りぬけてゆく。わたしの知っている5人は、わたしが知覚したと同時に消えてしまう。誰にも追いつけないスピードで、常に生成と変化を繰り返しているから。きっと、変化を嘆いたり、恐れたりすることには何の意味もない。……それに、どんな風に変化したとしても、多分わたしはまた、その新しい作間から目が離せなくなる。今までもそうだったのだから、これからもきっとそう。いつまでその流れを追いかけてゆけるかは分からないけれど、行けるところまでは着いていきたい、と思う。どうか、着いて行かせてください。

以上、18歳の作間についての覚書。



上にも書いたけれど、この一年間、作間を見ているときは大抵穏やかな気持ちで、苦しくなることも悲しくなることもほとんどありませんでした。……いや、あったにはあったけれど、結局のところそれはわたしの問題で、作間の言動に振り回されることはなかった。むしろ、作間に救われることの方が多かった。2020年1月1日から作間の18歳の誕生日までの期間が、作間担であることを再確認するための時間だったとするのならば、作間の18歳の誕生日から今日までの期間は作間の良いところ、好きなところを新しく発見して、もっと好きになるための時間だったような気がします。あと、物凄く小さなこと、本当に些細なことだけれど、作間担でいる限り大事に取っておきたいって思える瞬間も何回かあって。もちろん今までにもそういうことはあったけれど、今までのものとは毛色が違っていて、そういう点でも、17歳までとは違うな、と思う。それに、そのことを他の人に話したら、さくちゃんって案外良い子なんだね~みたいに言われて、案外ってなんだよ!?と思ったんですけど(笑)でもわたしはその言葉で初めて、作間の優しいところ、良いところに気付いたんです。こういう風に、見ているはずなのに気付いていない良いところが沢山あって、それを見つける瞬間が沢山ありました。電影少女の愛ちゃんの台詞で「お前のいいとこめっけ!」っていうのがあるんですけれど、それを何度も繰り返すことで進んでいった1年間だったような気がします。

いつも後ろ向きなことばかり考え、日記に書いているし、お友達との会話でも「ここがかっこいいんだよ!」みたいなことを言わないから、もしかしたら「本当にこの人は作間担なのか?」と思われているかもしれないけれど、でも、心の中では凄く凄く好きなんです。それに、作間を選んで良かったっていつも思ってる!わたしは正直言ってあまり生きるのが上手くないし、人並みに出来ることだってほとんどない。それでも、こうやってなんとか生きていられる理由の何分の一、何十分の一は作間のおかげだと思っています。だから、そんな風にいつも幸せをくれる作間にも幸せになってほしいんです。そのためにわたしができることは、きっと何もないんだろうけれど、せめてその姿を見せてほしいなって思っています。

18歳の一年間舞台に立ち続けてくれてありがとう!19歳の一年間が、作間にとって幸せなものになりますように♡お誕生日おめでとう!そしてわたしは19歳の作間に担降りしました♡無駄に21:30(0930)投稿にしてみました(笑)