儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

わたしの中でハイハイジェッツのことを好きだと思う気持ちには二種類ある。一つは純粋に、一つ一つの要素に心を惹かれる気持ち。パフォーマンスが好き。歌が好き。顔立ちが好き。話し方が好き。振る舞いが好き。雰囲気が好き。並んだ時の姿が好き。そういう好き。もう一つは、ハイハイジェッツの身体を欲する気持ち。それは、彼らを自分の支配下に置きたいとか、性的なまなざしを向けるとか、そういうことじゃない。ただただ自分の身体と、彼らの身体を交換したいという欲求だ。わたしの何にもできない身体を捨てたい。あの伸び伸びとした身体に乗り移ってみたい。こういう「好き」は、自分の抱える不自由さへの嘆きや、やるせない怒りと表裏一体だ。

もしも、わたしの不自由な身体が、作間の自由な身体だったら、と思ったことが今までに何度もある。ずっと、もっと大人になればそんなこと思わなくなる、と考えてた。でも、きっとわたしは永遠にそんな憧れを抱き続けるんだろうな、と今日ふと思った。ハイハイジェッツを好きだと思う時、ほとんどの場合は嬉しくて幸せで、こんな小さなことできゃっきゃできるなんて、わたしはやっぱり祝福された人間だー!と半分開き直りつつも、その愉悦に浸っている。でも、身体の交換の願望を含む「好き」を感じるときは、諦念とか憤激とか、そういう気持ちが混じっていて、少しだけ落ち込む。わたしはハイハイジェッツになりたい。