儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

遠く高い空まで腕を伸ばして君へ星をあげたい! - さくまりゅうとくん18歳

本日、2020年9月30日はさくまりゅうとくんの18歳のお誕生日です!おめでとうございます!

18歳ですよ、18歳……免許もとれるし選挙の投票だって出来るし結婚だって可能です。きっとこれからますます成長し、幼さが抜け、大人になっていくはずです。それが正直寂しくて寂しくて仕方ありませんが、その変化を見届けられる幸福を忘れないようにします……

さて、誕生日の日記を書くにあたり、昨年のものを読み返してみたのですがテンションの浮き沈みが激しくて全く参考になりませんでした。(当たり前です。基本的にわたしの日記は何かのためになるものではありません。)その上17歳の作間を見られる現場などは存在せず(……)また、まとまった思いがあるわけでもなく、どうしようかなあ、おめでとうだけに留めておいた方が良いのかなあと悩んでいました。けれど、それも少し寂しい気がするので、頭に思いついたものをメモしていこうと思います。

17歳の作間を見て感じたことの半分くらいは、ここに書いてきた、はずです。そして、それらはわたしがここに書けることのほぼ全てであったと思います。ですから、今から書くことは全て今までの焼き増しのようなものです。でも、わたしは作間が18歳を迎える直前に思っていることや2019年1月以降に思っていたことを、ここに残しておきたい、ので、繰り返しにはなりますが、ちんたらちんたら書いていきます。

そんなわけで、以下、17歳の作間に関する覚書。

 

 

1.2020年1月1日ハイハイジェッツよりご報告

2019年9月の出来事により、わたしは17歳になったばかりの作間を見ることが出来ませんでした。そんな中で、最初に17歳の作間の姿を感じることが出来たのは、映像でも、声でも、舞台のレポでもなく、ジュニア情報局に掲載された文章でした。「ハイハイジェッツよりご報告」というタイトルのつけられたその文章は、当時、「作間が戻って来てくれることを喜べないかもしれない」と悩んでいたわたしを揺るがしました。

一通り目を通して、最初に湧いてきた感情は、喜びでした。メールに記された「皆様にご報告がございます」という言葉から連想した最悪なパターンを、良い意味で裏切られたからです。ですが、2回、3回、4回、と何度も何度も反芻するうちに、その感情は怒りのような、やるせないようなものに変わりました。幼さゆえの全能感から来るものなのか、表へ出ることの不安から来るものなのか、はたまた全く別の気持ちがあったのか、わたしにはわかりませんが、やけにきれいな言葉が、引っかかって仕方なかったのです。しかし、その後すぐに、作間がまだたった17歳の少年であることを実感させられました。その瞬間からあらゆることが怖くなりました。まだ、17歳なのに、作間を取り巻く状況がこんな風になっているのか、と絶望にも近い感情を抱いたのです。それが、苦しくて苦しくてたまりませんでした。そして、おこがましいけれど、作間のことを守ってあげたくなった。でもそんなことを出来るはずがなく、代わりに「わたしは作間が好きだよ」って言葉にして、忘れないように持っておきたいと思ったのです。だから、1月頃は執拗に、好き、好き、って書き続けていたのだと思います。

あれから9か月弱が経って、苦しみはどこかへ行ってしまいました。もちろん、たまに思い出して、うっ……となることはあるのですが(笑)いつの間にか、普通に元気な作間のおたくに戻っていました。わたしはいつ、どうやってあの絶望を克服したのでしょう?自分でも分かりません。作間を見るたびに抱く幸福感が、それを打ち消してくれたのでしょうか?

ちなみに、今はこの作間の文章を読むと、少しだけ笑ってしまう自分がいます。それはおかしいからではなくて、作間らしい文章だなあ、と感じるからです。少し不安定な日本語と、自撮りアプリのフィルターがかかったような表現。所々、あざといなあ、とも思うのですが、もしかしたら、作間は無意識のうちにそういう言葉を並べてしまう人なのかもしれません。もしそうだとしたら、やっぱりわたしは作間のことがよく分からない!!!(笑)

 

2.3月8日の伝記

作間の書いた文章を、5日に一度読める場所。それが「伝記」なわけですが、17歳の作間の書いたものの中で最も印象に残っているのは3月8日更新分です。この回は(わたしの中で)伝説と化している、はだしょー内で優斗くんが「作間は学年一位の成績でうんにゃらかんにゃら」っていう話をしたことについて弁明をした伝記ですよ!!これを読んだとき、動悸と息切れが止まらなくて、目で文字を追っているだけなのにへとへとになったのを覚えています。「他人から自分がどう見られるか」という自分を客観視しているようなところと、思春期ゆえの自意識が混ざり合っているような文章で、作間は今まさに大人と子どもの狭間に居るのだ、と感じさせられました。今までも、そうした部分が分かる場面はありました。ですが、大人らしさと幼さが同時に、しかも、作間がスマホでぽちぽち打った(であろう)文章から伝わってくるのにきゅんときたのです!!きゅーんきゅんきゅんきゅんどうして?ですよ!!「笑」とか、「!」とか、そういう細かい部分にも、作間の心の揺れ動きが表れている気がして、読むたびに胸がぎゅっとなります。そして、作間はあまりこちら側のことは気にしないタイプだと思っていたので(笑)「お手紙など下さい」という言葉にも戸惑ってしまいました。ファンサービスだと分かっていても、嬉しいものは嬉しいです♡

 

3.「私の夢はハイハイジェッツの夢そのものです」とその周辺のこと 

復帰以降、作間は「自分の人生をハイハイに捧げる」というようなことを繰り返し言うようになりました。そして、わたしはそれが怖くて怖くて仕方ありませんでした。このことを人に話した際に、「それは『後ろにいる大人に言わされているんじゃないか』という『怖さ』ですか?」と聞かれたことがあるのですが、わたしの抱えていたものはそれとは違う性質のものでした。わたしは、作間に「自分で選び取った」という呪いを自分自身にかけてほしくなかったのです。

人は「自分で選ぶ」ことに重きを置きます。他人が選んだものよりも、自分が選んだものを重視し、それを貫き通そうとするのです。でも、それは一種の呪いでもあると、わたしは思います。「『自分で選んだのだから』貫き通さないと」という気持ちにいつか押しつぶされてしまうのではないか。大人になった時、何かに気が付いた時、17歳で下した決断が、正常な判断や決定を妨げてしまうのではないか。そんな気持ちが、わたしにはあったのです。

けれど、雑誌のインタビューで綴られた「他の人のようにはっきりと目標を持てない自分に悩んでいた」という言葉で、ようやく受け入れることが出来ました。それは、わたし自身17歳の時に同じようなことを思っていて、でも作間みたいに道を絞ったからなんとか苦しさから抜け出すことが出来た、という経験があったのも理由の一つではありますが、何よりも「ぐちゃぐちゃ言うよりも、『そうだね』って言って見守っている方が良い」と気が付いたのです。一歩引くのではなく、もっと近づいて。まるで自分のことように、一喜一憂したい。それこそ、わたしも、ハイハイジェッツと「伝説」を作りたい、というか、伝説を作るぞ!って何の躊躇いもなく言いたい。そんな気持ちが大きくなって、それで、ようやく作間の「私の夢はハイハイジェッツの夢そのものです」という言葉を受け入れることが出来たのです。

そして、より一層作間のことが愛おしくなりました。以前にも書きましたが、もし、作間の描く未来が、彼の持てる夢の最大容量を溢れて、こぼれ落ちてしまいそうになったら、わたしの夢のほんの少しだけ、0.00000000000000930%くらいだけなら(笑)あげてもいいかなっていう気持ちになったのです。そして、その気持ちは今も変わっていません。だから、大きな夢をかなえてほしい。ビルボード全米チャート1年間ずっと1位でも、新国立競技場14daysでも、ノーベル平和賞と同時に「伝記」でノーベル文学賞受賞でも、なんでもいいから(笑)わたしが想像できないくらい大きな夢をかなえてほしいのです。別にそこまで有り得ないくらいのものじゃなくていいけれど!(笑)でも、自分で選び取った道の先でないと、自分の選択に納得した後でないと、そこまで大きな夢はかなえられないと思います。だからこそ、わたしは作間の言う「夢」が大きなものであったらいいな、と願っているのです。

て、いう、か、久しぶりに夏前に出たダンスクを開いたら作間がめちゃかっこよくて幸せな気持ちになりました♡髪の毛染めて欲しくないよーー永遠に黒髪でいてよーーーー……(もはや誕生日も何も関係ない)

 

4.V

8月に行われた配信ライブ、おしおしよしよしなんちゃらサマパラ(正式名称はあまり好きでないので書きません)で作間はとっつーソロの「V」をソロ曲に選びました。作間の声に合っていて、ダンスが映えるソロコーナー。しかも、振り付けは作間本人。今思えばもっと全体を見ておけばよかった、という話になるのですが(笑)実を言うと、初めの数回は作間のダンスを目で追うだけで精一杯で、曲まではまともに聴けなかったのです。だから、「作間はどんな気持ちでこの曲を選んだのだろう?」と、歌詞にまで目を向けられたのは最終日のことでした。

作間がこの歌詞のように思っていたらいいのに。歌詞を目で追って、作間の歌声を聞いて頭に過ったのは、そんなばかみたいな考えでした。わたしは作間の思っていることや考えていることを知ることができません。もちろん、それは、あらゆる他者に対して同じことが言えます。でも、アイドルとおたく、という関係であるがゆえに、直接尋ねることさえできないのです。だから色々なところから妄想を重ねるしかない。そんな中で、わたしは、この曲に、このパフォーマンスに、復帰以降作間の中で渦巻いているものを求めてしまったのです。本当に、わたしのこういうところが良くないですね。わたしが作間に「こうなってほしい、ああしてほしい」と願うのは明らかに正しくない感情です。ましてや「こう思っていて欲しい」なんて、人の人生なんだと思っているんだ、という話です。本当は作間の好きなように生きてほしいし、わたしは何も言いたくないし、思いたくない。作間が幸せならなんでもいい。けれど、考えるよりも先にそうした感情が出てしまいます。誰かにそう思われることが嫌なのは、わたしも分かっているはずなのに、です。

でも、でもでもでも、作間がこの曲に対して、力を入れていたのはきっと本当のことだから。直前まで振付を考えていたり、わたしがぼーっとするくらい綺麗なパフォーマンスを見せてくれたりしたことが忘れられないから。この曲と「似たような気持ちがあった」のも本当だと思いたいのです。「もしまた迷っても向こうへ」と思っているはずって、勝手に考えていたいのです。そんなことを決めつけるなんて暴力的だとはわかっています。でも、そう思ってしまうくらい、作間の未来を見たいと願うわたしがいたことを忘れたくないから、ここに書いておきます。

 

これからどんな未来が待っているかは分かりませんが、例えどんな道を進んだとしても、作間にこの上ない幸福が降り注ぐことを祈っています。お誕生日おめでとう!♡そして、本日2020年9月30日、わたしは18歳の作間に担降りしました♡今年も極上の娯楽と、幸福感を、与えてください♡