儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

明日も少女ね 半分少女なのね

高階とチョクのことがもっと知りたくて、60分、20分×11回、236ページの外にあることを知りたくて、当時のミニコミや関連書籍を読んだり、インターネットの海を彷徨ったりしております。

分かったこと。今日子とってもコケティッシュ~は実際に使われてたコールであること。「チョキンバコ」をやっていた人はそれなりにいたこと。親衛隊を疎んじる人もいたこと。今日子隊は本当に武闘派だったこと。それでも、大人になったキョンキョンが「ファンの人たちの青春に恩返しをしたい、責任を取りたい」と言ってしまえるほど、きれいな部分もあった、であろうこと。

わたしは、アイドルおたくとはどこまでも自分本位で身勝手な趣味だと思っていて、その上、赤の他人に対し消費の視線を向ける最悪な道楽だ考えています。だから、せめてもの自戒として、消費者という自覚を持つことと、全て自分のためにやっているのだからアイドルおたくに関することは自分で責任を取ることを、特に2020年は意識してきました。勿論、これはわたしに対しての話で他者に対しても要求しているわけではありません。けれど、アイドルおたくならば誰しも、そうした自分の抱える一種の加害性と向き合っているはずだろうと、それに苦しめられているはずだろうと感じていました。そして、その苦しみはアイドルから遠く離れた場所にあるはずだと。だからこそ、キョンキョンの先の発言から感じられる距離の近さには驚くしかありませんでした。

この発言以外にも、キョンキョンと親衛隊の近さが窺えるエピソードはあるのですが、その中でも特に印象的だったのが、白血病になってしまった親衛隊員の子が実在していて、キョンキョンはその子のことを40年近く経った今でも覚えている、という話です。上手く言えないけれど、きっとこの記憶には苦しみが伴っていると思うのです。少なくとも、嬉しい気持ちで取り出せるものではないはずです。だからこそ、本当に赤の他人同士だったらそんなことはさっさと忘れているはずでしょう。でもキョンキョンはずっと、ずっと覚えていた。アイドルとおたくが他人同士ではなかった時代。お互いに「青春」だと思えた風景、ラジオドラマや原作では描かれていなかった交流があったのだろうと思います。

と同時に、彼女のその発言の背景がこうもありありと浮かび上がってくるのは、オートリバースにリアリティが存在しているからなのでしょう。個人的に、チョクと高階が初めてNHKホールへ行った際の会話が好きなんですけれど、それが凄くリアルだなあと思うのです。

「歌うときに息を吸い込むんだけど、それがなんかいいんだよ」

「確かに息は、エロい」

「ほんとにわかってる?」

「耳とか息吹きかけられたら絶対いっちゃう」

「そういう意味じゃないって」

息を懸命に吸うのが好き、一生懸命に泳ぐ女の子の息継ぎみたいでかわいい、とチョクは考えているんですけれど、多分これって、歌があまり上手くないことを含めての「かわいい」だと思うのですよね(笑)でも、それをチョクは「なんかいい」と言うのです。理屈じゃないかわいさ。わたしもよく「なんかいい」「なんかかわいい」と言ってしまうので分かるんですけれど、『理由は上手く説明できないけれど「なんか」いい』ことって沢山あると思うのです。例えば、チュムチュムのバックでカメラを見つめてる視線、はいちゅーぶの画面の隅で一人にまにま笑ってる姿、エトセトラ。言語化出来ないけれど、心の中に留めておきたい良さ。多分、チョクの言っていた「息継ぎが良い」もそういう良さだと思うのです。

でも、こういう「なんか」いいことって他の人からは理解されないことも多いのですよね。上の引用部分でも、高階は趣のないこと言っていますし(笑)何を良いと感じ、何が好きなのかは、人それぞれなはずです(ラジオドラマ版では「確かに」って言っていたけれど!笑)。だから、高階のあの反応も物凄く「本当っぽい」のです。キョンキョンの歌唱力と、それを「なんかいい、なんかかわいい」と感じているチョク、それに加えて、いまいちその魅力が伝わっていなさそうな高階という、本当のこと、本当にありそうなことだけで構成されていて、読み返すたびに「高階とチョクも本当に存在していたんじゃないか」と思ってしまうのですよね。オートリバースを何度聴いても作間と猪狩の姿が浮かばなかったのは、二人の演技もあるでしょうが、それ以上に80年代、親衛隊のリアリティと強く結びついていたからなのでしょう。