儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

25年以上前の映画の感想を必死に書くことしかできない

相変わらずエヴァの話です。keyの前身に当たる美少女ゲームブランドのtacticsのMOONとエヴァって似てるな~と思いながら見ていたのですが、そもそもエヴァの放映が1995年、MOONの発売が1997年だから、MOONの方が「エヴァっぽい作品」群の一つに位置するんだろうなあというよく考えればすぐに分かる気付きを得る。25話の、各々のトラウマや過去と向き合う感じがMOONの宗教施設の修行的なもの……自らの過去と向き合う、的なもの……を思わせたのですよね(物凄く前にノベライズ版を読んだだけなので記憶があいまいです、すみません)。エヴァがヒットしたから内省的な作品が作られるようになった、ということなんでしょうか。

あの後結局映画版(AIR/まごころを、君に)も観ました。全てはミサトさんのために!!!!人類補完計画は結局、間主観的な世界を棄却し、全てを一とする計画、ということなんでしょうか。で、シンジくんは他者ありきの自己、現象学的身体論でよく言われるような、他者の存在によって引かれる自己の輪郭線を以て己を理解する(そして自分ではない誰かと生きる)ことを選び取った、ということなんですかね……お父さんは人類補完計画に乗っかってユイにもう一度会おうとしていたということ?うーむ、よく分からない……そもそもあなたは誰?この組織はなに?というのが未だにたくさんあるのですよね。カヲルくんが何だったのかもいまいちわからない。

個人的に映画の中で興奮したところは初号機がシンジくんのお父さんをぱっくんと飲み込むところと、ミサトさんとシンジくんのお別れのシーンです。シンジくんとお父さん、ユイを巡る縺れは精神分析におけるエディプスの傷のあれこれをそのまま反映していると思っているのですが、そう考えると、ユイの魂が取り込まれていて、かつシンジくんともシンクロしている初号機がああいう形でお父さんを食べることには色々な読み方が生まれそうだなあ、と。初号機をシンジくんとおけば、シンジくんが個としてのお父さんの命を奪う、<父親を乗り越える>モチーフになる。一方で、初号機をユイとおけば、お父さんとユイは一体化するけれどシンジくんは最終的にそれ(=人類補完計画)を拒絶するので、<父親を乗り越えることができない>モチーフになる……そういった点でわたし的にあのシーンは激熱だったのです!!ミサトさんとシンジくんのお別れのシーンはもう言うに及びませんよね。ミサトさんかっこいい!!!かっこいいよーーー!!!!かっこわるいけどかっこいいです。今までミサトさんとシンジくんの疑似家族は親と子の関係の反復だと思っていました。けれども二人はあの生活の中で確実に前へと進んでいて……単なる反復や転移ではないのです。それがあの恋人ごっこの別れ、に繋がったんだと思うのです。でももうそんな安い言葉なんかミサトさんの前では不要!!ばしゅんばしゅん銃をぶっ放しシンジくんを守るミサトさんかっこいい!!!!テレビシリーズの方でも思ったんですけれど、ミサトさんはチルドレン三人のことをエヴァの操縦士だからではなく、子どもだから、関わりのある人間だから守ろうとする面が度々見られて好きなんですよね。マグマダイバーの時と言い、結構ひどい時もあるんですけれど、その都度対応が変わる感じもまた人間らしくてわたしは好きなのです。そんなわけで?ミサトさんスキーになってしまったという日記でした。あと数年見るのが早ければシンエヴァフィーバーに乗れたのに!!!!でもこうなっては仕方がないので、たった一人できゃあきゃあしたいと思います。とりあえず今月中に新しい方の映画のシリーズも見てしまいたい。