儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

これはひらいてカテゴリにいれるやつ?

作間と杏奈ちゃんが表紙のSpoonを買いに街へ繰り出したらどこの本屋さんにも置いておらず、結局他の雑誌数冊と小説何冊かだけを買って帰ってきました。本当にどこの本屋さんにもないのです。なぜなぜ?きゃわゆい二人が表紙だから?オンラインサイトで購入できたので良かったですが、これからはきちんと予約すべきですね……それにしても、こうしていざ、ひらいて関連の雑誌が出ると、本当に公開するんだ!という実感が湧いてきました(誰目線?)。あとこの前映画館でフライヤーも貰ってきました。わーい!!♡裏面見るたびにびっくりしてしまう……から皆さんも映画館行ってもらってきてください。

話は変わりますが、わたしは模試や過去問に出題された文章を覚えているタイプの人間で、小学生の時に解いた問題でさえ覚えているものがあったりします。大抵の場合それは国語の文章なのですが、唯一、英語の文章で強く記憶に残っているのが、村上春樹の壁と卵のスピーチです。

“Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg.”

Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will do it. But if there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?

この文章を始めて読んだとき、意味がきちんと取れていない部分がありながらも、わたしは「自分も常に卵側に立っていたい」と思いました。あれから5年以上が経ちますが、今でもそう思っています。ですが、わたしを含めた全ての人は、時として、壁側に立ってしまうことがある。卵であるわたしたち一人ひとりを潰してしまうシステムに何も言わず従ったり、潰れた卵を見て見ぬふりしたり、あるいは、そういう世界なのだと諦めたりすることがあります。そして、その時でもわたしたちは「卵側に立っている」と思い込んでいるのです。「システムは卵のためにあるのだから」と。わたしもきっとそうなのでしょう。いついかなる時も、卵側に立ち続けることは不可能なはずです。でも、無理だと分かっていながらも、わたしは卵側に常に立っていたい。小さな声で紡がれる誰かの語りを聞き続けていたいのです。この願いは、先のスピーチで述べられた、小説を書くという営みと非常に似ていると思います。でも、そのためにわたしはどうしたらいいのでしょう?そんなことばかり最近は考えています。