儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

耳の奥で音楽が鳴りだして

オートリバース最終回更新日ですが、今日は聴かないと昼間に決めたので、オートリバース日記ではありません。作間担失格かしらん。でも仕方がありません。だって2020年ビリーズのラストステージを見てきたのですから!!

 

というわけでホリプロコン行ってきました(さらっとビリーエリオットにはまっておりますが、実際には赤坂→梅田という段階を踏んでおります。気が付いたら梅芸にいたよ日記も今年中には書くでしょう……多分……)。4人が出演すると告知された時には既に先行が終わっていたので、一般とYシートを使ってマチソワしました。梅田行ったときも思ったけれど、行こうかな?と悩んだときはやっぱり思い切って行くべきですね……

マチネでいちばん衝撃的だったのは、カテコのときにふうくんがビリーたちににこにこ目線を飛ばしていたことです。それかよって感じですけど(笑)おたくだから仕方がない!!ちなみに、ふうくんはあのヘッドスピンのふうくんです……ふうくんがデスノート出てたことは知ってたけれどホリプロ所属なことは知らなかったので本当にびっくりしました……平和な空間。きゃっきゃしたりきょろきょろしたりしてる4人が本当にきゃわでした。

マチネのエレクトリシティを見て、ビリー見てる時の気持ちってこれだったなあと思い出しました。

エレクトリシティって、本当に、ダンスのために命を燃やしているかのように見えるのですよね。踊るのが好き、を通り越して、踊るために生まれてきたんだ、くらいの気持ちというか。踊ることを渇望しているような身体表現が、本当に美しくて仕方がないのです。そして、エレクトリシティという歌自体にも、そんな感情が込められている気がします。だから、歌いだしの「上手く言えません」の一音目から鼓動が高鳴って仕方ないのです。

そして、エレクトリシティのパフォーマンスを見るたびに、彼らに対する憧れが強くなります。以前にも、日記や拍手のお礼に書いたことがあるような気がしますが、わたしは、男の子が持っていて自分にはないものに昔から羨望を抱いています。そして、その中の一つに、自由な身体があると思うのです。作間のパフォーマンスが好きなことの背景には、「自分には出来ない動きをいとも簡単にやってしまうこと」があり、それが憧れに変わり、更には「好き」へと変化するのですが、エレクトリシティに魅了されている時の気持ちも、それに近いものなのです。自分の中にはないものが、今目の前にあるという感動。それが、自分では手に入れられないものと知っているからこそ、より心を動かされるのだと思います。

(当たり前ですけど)通常の公演では、ビリーは一人なので4人全員出演となると、どこを見ればよいのか分からない!終始、しらべくん見たいけどたいちくん見たいし~えっでにすくんいるじゃん、いや、かいるくん出てきたんだけどどうすれば……という状態でした。誇張表現ではなく、本当に目が足りません……はあ。これがラストなんて!もっと見たい!けど、彼らの身体的にもこれで終わらせないといけないのでしょう。変声期を迎えてしまうと、もう歌えませんからね。今日も、その境界を越えるか、越えないかのところで、4人は舞台に立っていたのだと思います。だから、感動を覚えつつも、その儚さに対する寂寥もあり、なんだか不思議な気持ちで見ておりました。でも、そんな特別な時期にいる、めたくそ特別な4人を見られて幸せでした!♡

他にもビリーについては色々書きたいことがあるのですが、どれもこれも赤坂と梅田の話に繋がってくるのでそろそろ本気で梅芸にいたよ日記書きますね……