儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

憧れで終わらせたら傷つくだけ

優しさにつよがるのはやめたよ


ほんの数週間前まで通っていた学校には学費や寄付金をこれでもかと投入した立派な図書館があったのですが、わたしはあまりそこが好きではなく、足を運ぶのは書庫に潜る時だけでした。というのも、わたしは(自分も大学生だったくせに)大学生が苦手だったんです。自分が意識低い系大学生だったから。インターンには行ったことがないし、SPIも玉手箱も受けたことがありません。アクセンチュアという名前は大学四年の秋にタワマン文学で知りました。でも、図書館に行けば、わたしとは正反対のきちんとした同年代の子たちが沢山いる。机に向かって、ちゃんとしたことをやっている。わたしがどう足掻いたってなれない、大学生らしい大学生の仕草。彼らの姿があまりにも眩しすぎて、目が潰れそうになるから行けなかったんです。学部の図書館は、まだ小さいし人だって大きな図書館ほど多いわけじゃないからよく足を運んでいたのですが、それでも逃げ出したくなることがあり……そんな時に行っていたのが、大学構内にあった<よく分からない施設>です。往々にして大きめの大学には<よく分からない施設>が多々存在しています。なんたら記念館とか、なんたら博物館とか、そういうやつです。わたしの大学にもいくつかあったのですが、その一つに「ただひたすらジャズが流れているだけの空間」がありました。何があるというわけでもなく、椅子やソファ、机があり、高そうなスピーカーからジャズが流れている、そしてレコードが終わったら取り替えてくれるお姉さんがいる、そういう空間があったのです。一種の観光地と化しており、在籍学生の姿は一切見なかったわけですが……わたしはそこが好きだった。人々がそこで「観光」という非日常を過ごす中で、わたしはただ一人日常を送っている。授業の合間の時間。友達との約束までの時間。読むことと書くこと。日々積み重ねる小さなこと、当たり前をその中で一人、ちみちみと紡いでゆくその時間が好きだった。自分と同じ身分の人たちの中でぽっかり浮かぶのは嫌うくせに、全く違う目的を持ち、異なる文化や言語を手のひらに持つ人々の中に紛れ込むのは、何故だか心地よかった。何でなんでしょうね。それに、あんなに嫌いだった街が今では恋しい。

今日の少クラを見ました。待ちに待ったネバーストップドリーミング!!こうやって見ると、なんというか、ハイハイ5人みんな大人になったなあ……と。お前誰やねん発言すみません……でも、わたしが年を重ねるのと同じように、ハイハイもまた年を重ねているのですよね。そのことを強く思いました。以前にも書いたことがあると思うんですけど、わたしがハイに最初に触れたのは以前通っていた学校に入学したその日(たぶん)の少クラなんですよね。まだわたしはハイハイ担ではなく、テレビでじゃにーずをぼんやり眺めるだけの15歳で、そしてハイハイもまた今のハイハイとは違う形で活動していました。新しい環境に慣れなくて、不安で、そんな中噛り付くようにテレビを見つめていたことを覚えています。もう何年も経ったのに、あの時と同じ気持ちで同じことしてる。成長していない自分にちょっとがっかりしつつ、でも、こうやってハイハイ担としてハイハイを見ているのは不思議だなあとも思います。わたしはハイハイに救ってもらってばっかりだ。それに、ネバーストップドリーミングは、曲がおしゃれなら歌詞も前向きで素敵だし、ダンスもかっこいい!!ハイハイにまつわる思い出とか、その時々であった自分のこと……色々なことが思い出される、不思議な曲ですね。もっとたくさん見よう。別のしかたの「好き」でも好きなことに変わりはないね。もしかしたら変わってなんかないのかもしれないけれど。