儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

ラブソングなんて上辺ばっかでホントの気持ち違うよ

わたしはこう見えても作間のことがそれなりに、結構、だいぶ、というか凄く凄く好きなのに、それをなかなか上手く言葉にすることができません。顔が好き?と聞かれたら、まあ、うーん、はい……とは答えますが前々から言っているように超ドストライク完璧パーフェクト好みな顔というわけではないし(実はそんなに主張が強くない時の優斗くんの顔が凄く凄く好きです。生まれ変わったらこの顔になりたい!!というくらいに好きだったりします。ちょっとこの話もまた今度書きたい)かと言って作間の中にある哲学のようなもの、内面的なものが好きかと言われたら、うーーん、すぐにちょけるところやお手紙でランキングを始めるようなところは好きだけれど、でももっともっと深いところはあまり分からないし、なんとなくそういうところだけでジャッジはしたくないし(というかしたくないなって思うようになったし)そもそもそれが一番の理由ではないし……とぐるぐる考えてるといつもいつの間にか1日が終わってしまって、分かりかけたのに、というところで振り出しに戻ってしまうのです。なんでわたしは作間のことが好きなのだろう?とよく考えるんですけれど、でも歌って踊ってローラー履いてる映像見たら、これだよね、ってなるから不思議。作間のパフォーマンスが好き。歌ってる声が好きで、しなやかなダンスと、アクロバットの着地の音と、金魚裾をなびかせながらローラーで走る姿が好き。そして何よりも自分の思うままにアイドルをやっている作間が好き。わたしには大切なものがいくつかあるけれど、その中の一つは今書いたようなことだったりします。

 

大学に入ってから、ジャニーズのことをあまり知らないアイドルオタクの人とお話をすることが増えました。当然のようにわたしは「どんなアイドルが好きなの?」という流れで作間のお話をすることになるんですけれど、その時にいくらか色眼鏡がかかっているな、と思うことが少なからずあります。それは、この子が好きで~と見せた作間の写真に対する「このアイドルはジャニーズだから」という意味合いのものはもちろんだけれど、それ以上にわたし自身に対して「この人はジャニーズのファンの女の子だから」という視線が向けられているな、と思うことがあったりなかったり、あったりします。そう多いわけでもないけれど。

ジャニーズだから。男の子アイドルだから。接触がないから。メジャーな事務所だから。お金がなくても現場に行かなくても楽しめるだろうから。そして、そういうアイドルが好きな女の子だから。多分その後に続くのはマイナスな言葉。アイドルのおたくでもなんでもない人に作間のことを話す分には疲れることなんてほぼないのに(そもそもアイドルのおたくじゃない人に作間の話する機会もそんなにない……)他のアイドルが好きな人と話すとそういうニュアンスが感じられるのは何故なのでしょう?わたしの勘違い?そもそも、接触の有無や所属している事務所でアイドルの優劣は決まる、のか?繋がりたいと願っていないオタクは「本当に好き」とは言えないの?そもそも作間のおたくというだけでわたしという人間が何者なのかが決められてしまうの?(ちょっとそろそろ悪態つくのやめます)どうしてこんなにも苛立ちを隠しきれないのか自分でも分からなかったのだけれど、ここまで書いてみて少しだけ分かったような気がします。多分、わたしは明確な根拠なしに上記のようなことを言われてしまうのが嫌で、それ以上にそういう人への対応を面倒くさがって「はいはいそーですねわたしもわたしの好きなアイドルもあなたの思っている通りですよー」という姿勢に素早く切り替え、言いたくもない適当な言葉を並べている自分が嫌なのです。別にそんな相手に自分のことや自分の好きなものを分かってほしいという気持ちはありません。けれど、自分の姿勢を崩してはいけないな、とは思います。わたしが自分の大切なものを守ろうとする姿勢を崩してしまったら、何もかも流されてなくなってしまうような気がするから。好きな気持ちも、わたし自身も、全部。これ以上に癪に障ることって多分この世にそうない気がします。そんなわけで、わたしにとって大切なものを見せることと、へらへらして自分を失うことを比べたら圧倒的に前者の方がましだなーと気が付きました。だから今度からは適当な言葉をへらへら並べることだけはしないようにします。もちろんこれは作間に関することだけじゃなくて、わたしにかかわること全てにおいて、です。まあ、ちゃんと言葉にしてもだめなときはだめだったりもするのだけれどね。でも、結局これって「誰か」ではなくてわたしの心の持ちようの話なのでしょう。だったらなおさら自分にとって大切なことは誤魔化さないように、自分だけは忘れないようにしたいな……と思ったという日記です。

高校生の時は自分をだめな人間だと思い卑下していたのに今では自分を大切にしたいと思っているから不思議だなーと思う。あの子はジャニーズが好きだから…という視線にさらされたこと/作間の一件で出所が謎な話を根拠にあることないこと言われたこと/作間のことを好きだと言いたいと思うようになったこと、は結構それに関係している気がする。とか書いていたらもうこんな時間だ……今日も日記は書きおわらなかった……多分明日には書き終わる、はず。

才能があるかどうかというのはそれは神様でも分かりません。やりたいという気持ちが一番ですよ。稽古を見ていても分かりますよね。本当に本気でやるという子はやりますよ。

 才能で思い出したので調べた。メモ。2年前?の1月頃にNHKのニュースでやっていたジャニアイ特集でのジャニーさんの言葉です。何かを本気でやりつづける才能は確かにあるのかもしれない。

1週間に約一回

バナナナナナナ(ナの回数これであってるかどうか自信ない)の作間が謎にかっこよくてこの理由は何なのだろう……と少し考えてみたのですがやっぱり前髪の長さな気がします。センター分けよりも目にかかってるほうがかっこいい!!そんなわけで作間がけん玉の練習を始めました。作間曰くけん玉は球技だそうです。結構難易度高めな目標を設定していますが昨日更新分ではそこそこ出来ていたのでやはり……となっております。ちなみにわたしの予想は

だったので100円もらえそうな気がします(誰から?)成功するとむふむふ嬉しそうにしていたのがきもいようなかわいいようなきもいような……いや褒めてますよ!!(笑)それと、定期更新のネタを考えてくれたこと、紫色のけん玉を買ったことが嬉しくて、少しだけ、アイドルの才能を感じました。いや、才能があるかどうかなんてことは誰にも分からないし、そもそも才能なんてものは初めからこの世界のどこにも存在しないのかもしれないけれど、それでもわたしは、こちら側のことを考えていると思わせてくれることを、アイドルの才能、と言いたい、と思ったのです。これまで、なんでアイドルやっているのかなって考えたことがなかったわけではないから、年明け以降こういう感覚を覚えることが多くて凄く嬉しいです。ちなみにわたしにはアイドルオタクの才能がありません……きゃぴきゃぴするのが苦手とか、EXシアターの屋上が苦手とか(これは大抵の人が当てはまるか……)とにかく自分オタク向いていないなーと思うことが多々あるので、誰かアイドルオタクの才能わけてください……

なんやかんやっていうのはあのちゃんの話です

コペルニクスてきてんかい -てんくわい [0]【コペルニクス的転回】
コペルニクスが地動説を唱えて天文学の大転回を行なったのに比して、カントがその著「純粋理性批判」の中で自らの認識論を特徴づけた言葉。対象は認識以前に存立し、それに主観が従うことで認識が成立するとされていたのを、むしろ主観における先天的形式が対象の認識を成立させるとした。 → 超越論的観念論
②見方や考え方が正反対に変わることのたとえ。

中学校の理科の授業で「『コペルニクス的転回』っていうのは、例えば、私たち別れない?って彼氏に言ったら、え?俺たち付き合ってたっけ?って言われるような、超衝撃!!今まで思ってたことはなんだったの!?ってなること」って教えてもらったことが物凄く記憶に残っているんですけど、ここ数日のなんやかんやはまさしくコペルニクス的転回!!!!って感じです。わたしの中で、世間の人はみんなあのちゃんに対して「あーあの不思議ちゃん?なアイドル?だよね?」というような認識を持っていると思っていたんですけど、実はそうじゃないということが分かりました。それと同時にキングヌーは知る人ぞ知るマイナーバンドで知らなくても別に世間に取り残されているとかそういうわけではないと思っていたのですが、意外にも世の人々は知っているということも分かりました。一曲も知らないしなんならキングヌーっていう名前の一人の歌手だと思っていたよ……あとあのちゃんギャルが最近あまりいないこともようやく知った。わたしが高校生の時はあのちゃんギャルが全盛期で、あのちゃんギャルの友達に中野や下北沢へ連行されていた……なんやかんやで10年代後半カルチャーを結構楽しんでいたのかもしれない。

あと前奏の瑞稀がかわいい

全然使わないし消そうかなーーと思っていたあいらんどてぃーびーのカテゴリが大活躍で嬉しいようなそもそもの原因を考えれば悲しいような……という複雑な気持ちです。そんなわけで作間家のピアノが公開されたのです。アップライトなのか電子ピアノなのかの区別もつきませんがお家にある鍵盤楽器というそれだけでときめきます。これは耳コピなのでしょうか、それともドーンで披露予定だったのでしょうか……どっちでもいいけど(いや後者だと少し悲しいけど)結構上手くて驚いております。6年間ピアノ教室に通い続けたわたしよりも上手い……いやわたしは規格外に弾けない人間なので比較対象にもならないですが……6歳の6月に始めたはずなのになーーーうーーむ……それなりに大きくなってから自分の意思でピアノを弾き始めた男の子って上手い子多い気がします。幼馴染の子がめちゃピアノ上手いんですけど、小学校中学年でピアノやりたいやりたいって駄々こねて周りの女の子よりも遅く始めたんですよね。それでも小学校卒業する頃には学校で一番うまかったなーーー……従兄弟も中学高校くらいで始めたけど凄く上手いし。そういえば作間っていつ頃にピアノ習ってたんだろう?1年くらいだけ習ってたーみたいなこと言ってたけど、小さい時なのかなーー……でも今こうやって弾いてるってことはピアノ好きなんだろうな。個人的にピアノ弾いてる時の真面目な表情がかっこいいなーーって思ったからどんどん弾いてほしい……って考えてたらよくわからない動画が上がってました。モーニングルーティンの動画ってみたことないんだけど、えーとえーとこれは正解なのかしらん……

かっこいいって難しい

どうでもいいことを引きずってしまうタイプなのですが(例:そこそこする送料を払い雑誌を手に入れた直後に出版社から送料無料で買えることを知った。泣きたい)最近は秋学期に提出したレポートにつまんないこと書いちゃったなーって凹んでいます。ここ1週間くらい……もう3か月くらい前のことなのに……

文学作品を取り上げて社会的・文化的性に関する授業計画を作成せよ、という自由度の高いテーマだったので、どうせ書くなら楽しく書こう!!必修じゃないし!!ということでジャニアイの戦争のシーンを取り上げて社会的性別の流動性について書いたのです。(ジャニアイが文学作品なのか?という指摘は絶対に来ると思ったので、「ショー的な側面が強い舞台作品だが戦争を描いたシーンについて言えば、演者が実際に戦争を体験した脚本家からの『語り』を受け継ぎ、それを自分なりに咀嚼し感情を吐露するような芝居で観客側に『語る』という二重の『語り』の構造が見られる作品だ!!だから文学だ!!」みたいなことを書いた。友達から「色んな意味で大丈夫?」と言われたけどA+が来た……からその日以来特技は言い逃げです。)簡単にまとめると、第二次世界大戦の終了と日本製エンターテイメント、特にジャニーズに代表されるような男性アイドル歌手の登場により、それまで少年の担っていた「戦う」役割は消滅したことを述べ、そこから社会によってあてがわれる性別の流動性について論じたのですが、その中で現代に生きる少年の担っている役割は「愛される」ことではないか、としたのです。そして、この場合の愛する、とは、単に容姿・外見に依存するものではなく、例え未成熟であっても高みを目指し努力を続けることに価値を置き、そのような姿勢を絶えず応援することだと述べました。でも、今考えると、自分で書いたことであるにも関わらず、なんかなーー……と思うんですよね。ジャニーズによって、頑張ることや個性を発揮することが「格好良さ」なのだと示されたのと同時に、単なる容姿・外見に依存する「格好良さ」の基準が示されたのも事実なわけで、そこをうやむやにしたのは、良くなかった。いや、書いている時からなんかなーーー違うなーーーーー絶対抜かしてはいけないなーーーーーーとは思っていたのです。でも2コマ分の授業計画を作らねばならなくて、その後「一方で少女に対して使う『愛される』という言葉にはルッキズムの眼差しも内包されているのではないか~」という流れにして2コマ目に繋げたかったから仕方なく端折った、のですけど、でも今更ながら、あああ……となっています……あああ…………何がつまらんって自分に都合の良いレポートにするためにルッキズムに関する記述をあえて抜かしたところだな。せめて「授業終了時にコメントシート記入」の項目でルッキズムに関する指摘があるだろうみたいなことを入れておくべきだった。

今更なんで成績の出たレポートのことを……って感じなんですけどそれはこの動画を見たからです。

(高校時代「一生TEDなんか見ない!!!」って駅で友達と誓ったのに暇になるとみてしまうのはなんやかんや面白いからなんだと思う) 

容姿について悩む女の子はよく取り上げられると思うんですけど(この動画でも女の子に関する話が中心ですし)実際には性別関係なしに降りかかってくる問題だよなーと。

それにしてもかっこいいって難しいよ!確かにわたしは盛れてる作間の写真見てかっこいい!!!って思うことがよくあるけれど、それ以上にダンスやローラーをしてる作間の方がかっこいいって思うしさーー……だからといって外見が全く違うものであってもスペックが同じであれば誰でも良いのかと言われたら良いわけないしそれは作間じゃないし(当たり前)結局大切なのは「個」なんだろうけれど、その「個」を選ぶ際に容姿は多少なりとも影響を及ぼしているわけで。はーーあぐるぐる。なんか久しぶりに考えなくても良いこと真剣に考えてる気がする。

あと参考文献でこれを挙げた……容姿にのみ依存する「格好良さ」以外の「格好良さ」について書かれていたのが印象的でした。でも遥か昔(と言っても数か月前だけど)に追われながら読んだからそれ以外全然頭に入ってない……図書館再開したらまた読みに行きたいです。

ジャニーズと日本 (講談社現代新書)

ジャニーズと日本 (講談社現代新書)

  • 作者:矢野 利裕
  • 発売日: 2016/12/14
  • メディア: 新書