儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

<批評>というものが、その本来の姿において、存在し、価値を持ち、<詩>にほとんど比肩するのは―<詩>に対しては高貴な補完的作業をもたらすのだ―、直接的あるいは崇高なる形で、批評もまた森羅万象あるいは宇宙といったものを目指すことによってのみである。しかし、それにもかかわらず、ということは、我らの秘密の内奥の襞に位する始原的直観としてのその特性(神に由来する如き不安もそのためだが)にもかかわらず、<批評>は演劇の魅惑=牽引力には敗ける。事物を赤裸に見る必要のない人々のために、天空という〔大きな一葉の〕頁に書き込まれ、<人間>によってその情念の仕草を以て演じられる戯曲の単なる一つの再現=上演を見せるに過ぎぬ演劇の、である。
マラルメ 訳・渡辺守章「芝居鉛筆書き」『マラルメ全集Ⅱ ディヴァガシオン他』

ただ作間のことを好きだと言いたい。それだけなんです。本当は言葉なんかいらない。書くたびに、こんなの偽物だって自分でも思う。それでも何かを書かずにはいられない。作間を好きだと、わたしは作間担でいても良いと、まだ思えていないから。