儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

以前にも、この日記に書いたことがあるような気がするけれど、知り合いの男の子と「めちゃめちゃお金を持っている男子大学生の収入源は何なのか」という話をしている時に「女の子が風俗やガルバで働くのと同じで、売り専や女性用風俗で働いているんじゃないか」と言ったら「まさか、どこにそんな需要があるんだ」と本気で返されたことがある。

わたしは、そんな男の人をかわいいと思う。彼は自分が見られる存在であるということを知らない。客体としての自分を知らない。自分が、値踏みされ、消費される対象であると知らない。その鈍さを、かわいい、と思う。もしかしたら、この気持ちは、誰かに見られていることを知らずに生きてくることが出来たことへの嫉妬や羨望なのかもしれない。あるいは、怒りを、無理矢理、かわいい、に翻訳しているだけなのかもしれない。

わたしは世間一般の多くの人が重要と位置付けるような人間関係において、自分から能動的に働きかけたことがまるでなく、今まで「周囲の人は他者とこういう距離になると、ここからはまた別の関係、という区切りをつけるらしい」くらいの感覚で生きてきた。あるいは、周囲からのそうした要請を感じ取って、それに応えるように関係性を変えてきた。だから、他者に対して強く惹かれる気持ちにいまいちぴんとこない(これを根拠に、ああ、わたしって頭がおかしいんだろうな、普通じゃないんだろうな、と思っているんだけど……でもそういう人って実は多いんじゃないかと思う)。その一方で、男の子の仕草とか、ちょっとした一言とかを、こっそり、かわいいな、と思うことは、結構ある。年齢や立場、わたしとどういう関係を結んでいるかに関わらず、どんな男の人に対してもそうした気持ちを抱く。まさかわたしがそんな風に思っているなんて、この人は知りもしないんだ!と思うと、ますますかわいい、と思ってしまう。「知らない」ということに、わたしは幼さや少年性を感じ取って、そこに愛らしさを見出しているのかもしれない。先に書いたような、客体としての自分が抜け落ちている様も、やっぱり「知らない」ことだ。

いつか、どこかで「アイドルはまなざすことをゆるしてくれる存在」というような言葉を聞いたことがある。でも、わたしはそうは思わない。許しているわけじゃない。隙が多いだけ。覗き見できる部分が、他の人よりも多くあるだけ。だから、まなざすこと、好きな時に好きなように好きだけつまみ食いすることが許されているように感じられるだけであって、それはアイドルの本当の役割ではないと思う。……でも、わたしはアイドルのそういう性質に救われている。わたしは見られるだけじゃなくて、見ることも出来るんだ!これって、実は凄いことだと思う。だって、わたしは見ることをゆるされてこなかった……というか、そうした側面がなかったことにされてきたから。本当は、誰かがゆるす、ゆるさないの話ではないはずなのにね。……あれ、そう考えるとやっぱりアイドルは「まなざすことをゆるしてくれる存在」なのかもしれない。

わたしは、作間のちょっとした動きや、言葉の言い方、文章の書き方に愛らしさ、かわいらしさ、子どもっぽさを見つけるたびに、見ても良いのかな、掬い取ってみても良いのかな、と思いながらも、それを味わうことをやめられない。いつしか、その対象は、言動だけではなくて、肉体とか、もっと実体的なものも含むようになっていった。そういうものを愛でる時、上手く言えないけれど、作間のことを食べているような、そんな感覚を抱く。まさに、わたしは作間のことを<見てる>し、支配のまなざしを向けている。……なんだか、しょうもないね。しょうもないし、こんなの、わたしがいちばん嫌ってる種類の人間だ。でも、わたしはこういう風に男の人……というか、作間を愛で、貪ることをやめられない。そういう矛盾がわたしの中にはある。それに、作間のことを好きだと感じている瞬間は、わたしも、他の人みたいに、誰かに強く惹かれ、恋焦がれる気持ちを抱いているような錯覚に陥ることが出来る。そんな偽物の気持ちで、自分の普通じゃなさを誤魔化している。