儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

Where my heart belongs

快楽のテクスト。それは、満足させ、従属させ、快感を与えるもの。文化から生れ、それと縁を切らず、読書という快適な実践に結びついているもの。悦楽のテクスト。それは、忘我の状態に至らしめるもの、落胆させるもの(おそらく、退屈になるまでに)、読者の、歴史的、文化的、心理的土台、読者の趣味、価値、追憶の凝着を揺がすもの、読者と言語活動との関係を危機に陥れるもの。
ロラン・バルト 訳・沢崎浩平『テクストの快楽』

わたしはたまに、作間のダンスを見ようとしているのか、あるいは、読もうとしているのか、わからなくなります。分からない。分からない、分からない。掴めたと思っても、次の瞬間にはどこかへ行ってしまう。大抵は楽しく見ていられるけれど、たまに、見続けるのが恐ろしくなるくらい、この子のおたくをやめた方がいいんじゃないかと思うくらい、心を揺すぶられる。快楽と悦楽が混じりあっているもの。多分、限りなく言葉に近いもの。

昨日、帝劇で見た作間のダンスは凄く凄く楽しそうで、いつも以上に目が離せませんでした。ブレイキンはバク宙も補助も増えてた!全力を注いでいることが伝わってきて、色々なものに少し嫉妬してしまうほどでした。あんな風に自由な身体がほしいなあ、とか、もっと前から見ていたかったなあ、とか。作間含めた、様々なものに対しての羨望です。前回入った時の気持ちが結局何から生まれたものだったのかは未だに分かりませんが、作間を見ている時の気持ちは、案外、わたし側だけの事情ではなく、作間のパフォーマンスにも左右されるもの、相互作用で成り立っているものなのかもな……と思いました。こうして言葉にしてみると当たり前のこと過ぎて、自分でも何言ってるんだ、と思いますが、今までは現場の時の気持ちは自分側の事情に強く影響されていると思っていたのです。結局、わたしが見ているのは、わたしの瞳を通して感じられる作間なのだから。でも、目の前で起きていること、そのものにも、ちゃんとわたしは刺激されているんだと、ようやく気が付いたのです。……眠くて頭が回らない。昨日は最初から最後までずっと楽しかったな。悦楽を感じるとき、忘我の瞬間。それがずっと続いているような感覚でした。言葉ではうまく言えない。多分、もう既にほとんどの気持ちを忘れてしまってる。あの時の気持ちをそのままここに貼り付けられたらいいのにな。