誰からも愛され、全てを許されてほしい。何でもできて、いつでも明るい場所にいて、幸福な結末が必ず与えられそうな瑞稀に対して、わたしがそんなことを願ってしまうのは、彼の中に、繊細そうな、至って普通の男の子の姿を見出しているからなのかもしれません。でも、どうして、わたしは瑞稀に対してそんな見方をしてしまうのでしょう?実際には、わたしの何倍も強いはずなのに。わたしにもその理由は分かりません、が、あえて挙げるとしたら、今年の夏、一つ一つの言葉を大切そうに紡いでいた瑞稀の姿を見たことがその背景の一つとして言えるのかもしれません。
サマパラ8/4昼公演の挨拶で、瑞稀は「他の4人は自分をしっかりと持っていてかっこいい、自分もそうなりたい。4人に出会えて自分も変われた」というようなことを言っていました。瑞稀は他の回でもいろいろなことを話していたけれど、わたしはこの言葉がいちばん印象的だったんです。というのも、今年の夏は、自分ではなく「個体」として存在すること、そして変わることについて考えていたから。まるでわたしの考えていることを狙ってきたような発言に、凄く驚いたのです。
瑞稀は「自分をしっかりと持っていること」に憧れると話していました。けれども、わたしは反対に、他の4人の姿に触発され、そこから変化できる瑞稀を素敵な人だと思いました。わたしは、しっかりとした自己を持つことよりも、持たないことの方が難しいと感じています。何故ならば、わたしたちは常に「自分」を守ろうとしてしまうから。わたしは新しいものに触れるのが苦手なタイプなのですが、結局それも自分という存在を崩したくないからなのだと思います。瑞稀自身が「4人の姿に憧れ、変わることが出来た」と感じられたのは、彼が確固たる自己ではなく、まだ誰にも分からない潜在性を抱えた個体として周囲のものと接し、多くのことを吸収してきたからなのでしょう。自分がないという言葉にはネガティブなイメージがついていますが、実際には、他の何者にもなれるというポジティブな側面の方が強いのではないかと思っています。色々なものと繋がり、切断し、その繰り返しで無限に続く流れの中を進んでいくこと。その中で、様々な姿を見せてくれることを楽しみにしています。
井上瑞稀くん21歳のお誕生日おめでとうございます。作間の無駄遣いを気にしている話の詳細が物凄く気になっているのでどこかでそれについて話してくれたらうれしい……