儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

Summer Paradise 2021(8/17・18:00開演・TDC)そして2021年夏のまとめ

個人的ラストの日。当たった席が今回の中でいちばん良くて、夏の最後に素敵なプレゼントをもらった気持ちになりました……そんなわけで以下、最後の2021サマパラ感想。

猪狩の唇が真っ赤でかわいい!!リップ塗ってるのかな。瑞稀もそうだけどコンサートの時に色を使ったメイクしてるアイドルを見ると、特別感があってちょっとだけ嬉しくなります。だぁ~どらは、なんと、なんとなんと、作間がまともに胸きゅんなことを言いました!!きゃーーー!!♡とわたしも心の中で黄色い声を上げたかったのですが、どちらかと言えば「作間がついに!!?」という気持ちの方が大きかったです(笑)ちなみに言葉は「好きだ、ばか」でした。「何か元ネタがあるはずなのに思い出せない……」としばらく頭を抱えていたのですが、ラッキーマン終わりくらいで「るんるんるるるるん~」というセクゾのきゃわいい声が脳内再生されました(笑)マントラは優斗くんの左右にいるはしみずそやさくを引っ張る振りが日に日に激しくなっている気がした……ひらいて告知は前回に引き続きちゃんとあらすじを説明していた!!最初の方は三角関係です~みたいなふわっとした説明だったんですけど、この前に入った日くらいからちゃんとストーリーが分かる告知に。ひらいて楽しみ♡MCでは涼くんがどんな顔選手権を開催。最初はにこにこしてるけど急に真顔になる涼くん。情緒不安定で怖い、などと言われていましたが、正解は「ファンサがもらえると思ったのにもらえなかったときの顔」でした。まさかのキレッキレ涼くん(笑)あとは瑞稀が伝記に自撮りを載せてもらえない!!と嘆いたり。そこで猪狩か誰かが「瑞稀くんが自分の自撮りを送ってくれたら俺たちだって載せるよ?」と言い、本当に載せることに!この時点では「まさかやらないだろう」と思っていたのですが、本当に毎日載せましたね……(これを書いているのは8/24。一昨日までの伝記参照。)そして折角なら瑞稀の後は涼くん……みたいにローテーションしていくことに!「瑞稀くん、はしもっちゃん、優斗、俺、で、瑞稀くん……」と何故か作間は飛ばされる(笑)なんで!?俺は!?となっていた作間きゃわいい。じゃあ作間は自分の日に自分の自撮り載せなよ~と言われたりもしたのですが(笑)結局最終的には作間も仲間に入れてもらえていました。あとセブンのクリアファイルの話もしてた!優斗くんが「俺も欲しい!数量限定なので皆さん勝負ですよ!」と言っていたのがきゃわいかった。涼くんも地元のコンビニで買って、クリアファイルの自分の写真と顔を交互に指差したい!!とのこと。それに対し「自分からアピールするのはちょっと……」な猪狩。あと優斗くんが水を飲んだ後に「出そうになった……」と言っていたんですけど、それに対して「上から?下から?」と騒いでいた4人のノリがばかっぽくて好きだなーと思いました(笑)ペトラは虎の涼くん(あまり似ていないしめのものまねをする)→カマキリ優斗くん(かわい子ぶりっこ。「構って♡」というカマキリネタを披露)→木の精猪狩(超イケイケ)。猪狩は涼くんと優斗くんを侍らせていました。そして作間は送風機を二台持って登場。5年に一回しかペットショップに帰ってこないレアうさぎだそうです。吹き飛ばしたいものが沢山あるからよく旅に出ているらしいよ。最終的に自分の顔に風を当てておでこ出していました。ずっとネタがないネタがないと騒いでいた印象だったのですがついに体を張るようになっていて、謎の感動に包まれるわたし。本日のアピールタイムは虎さん涼くん。瑞稀にしっぽ引っ張られて真ん中へ。猪狩と作間に風を送ってもらいボルケーノ。やっぱりみんなで服を脱いで土下座でした(笑)今回の作間の挨拶は、「オーケストラの感想を見て『なんかいいな』って思った。何が良かったのかは言葉に出来なかった。でも、『なんかいい』って気持ちも大切だと思う。この子が格好良い、ここが良いと言ってもらえたらそれは嬉しいけれど、沢山の人に『なんかいい』と言ってもらえるようなグループになりたい」というような内容でした。わたしも言葉に出来ない気持ち、みたいなものを大切にしている部分があるので、作間の口からこういう言葉が出てきたことに少し驚いてしまいました。言葉を介さない現実界との接触。わたしが作間のパフォーマンスを見るたびに、言葉をなくしてしまうのは、作間が触れてきたもの、感じてきたものをダイレクトに注ぎ込んでくれているからなのだと思います。あと涼くんが「サマパラ28公演出来てありがたいなって思ったけど、でも正直に言うともっと沢山ハイ単独やりたかった。本当は一か月全部ハイハイ単独でやって良いよって言ってほしかった」と言っていて、こういう風に前だけを見据えている姿がやっぱりかっこいいなって思った……し、ハイは後ろなんか振り向かないで、ひたすら前進するのみなんだなって改めて感じました。








サマパラのまとめっぽいことをどこに書こうか悩んだけど、この回の駆けるが印象的だったから、ここに書くことにします。


昨年の春の駆ける初披露時、わたしはこんなことを書いた。

あと一回目のサビの後のしっとりとした部分も結構好きです。一人ずつ抜かれるのが良き良かれなのです!ここの作間がきゃぴになりきれてない作間で(笑)それも好きなんですけど、もう少し時が経てば今とはまた違う表情が見られる気がしていて、そんな日を少しだけ楽しみにしています。

これを書いたときのことをわたしは今でもよく覚えている。というのも、他の子は歌詞に合わせた表情をしていたのに対し、作間は何を考えているのか分からない、あるいは何も考えていないような顔をしていて、今まではそれが好きだったのに、途端に不安になってしまったのだ。三か月強待ったのは無駄だったのかもしれない。この子の心は別のところに向かっているのかもしれない。僕の夢は……なんて言葉は本当は表面だけなのかもしれない。現場に行けば思考を切り替えられるかもしれないけれど、それも出来ないし、とはいえ、わたしは臆病だから正直な思いをインターネット上に書くこともできないし。何重ものオブラートに包み、その不安を何とか吐き出したのが先の引用部分だった。

それから1年とちょっとが経って、作間は18歳になって、2年ぶりのコンサートとしてサマパラが開催された。今回のサマパラを通して、一番強く感じたのは、ハイの変わりゆく姿。舞台の上にいたのは、2年前とは全く違う5人だった。

明確な分類を作成し、個体をそこに押し込めてしまうならば(=つまり個体を分化の水準で描ききるならば)、個体はそのあり方において、そうした分類をいつも溢れかえっていく反乱そのものである。ヒエラルキーを描きだし、そこに定位しようとするならば、個体はいつもそれを崩していき、自らの姿をも組み替えていく。個体とは、予見不可能な生成として、ハイブリッド(それ自身が異他的)であることの肯定そのものであるからだ。
檜垣立哉ドゥルーズ―解けない問いを生きる』

「自分」という中心を捨て、どこまでも続いていく生成の流れの中に自らを内在させること、その中で様々なものと結びつくこと。ドゥルーズは生成変化という言葉で、そうした予測不可能な潜在性の開きを記述したらしい。わたしは詳しいことは分からない、けれど、ローラースケートを履いて縦横無尽にぐるぐると世界を駆け巡るハイハイ5人の姿こそが、わたしにとっての生成変化のイメージだ。誰も想像できない流れの中を、誰にも追いつけないスピードで流れていく。誰も考えてもみなかった、それこそ、本人たちも予想していなかったような変化を遂げる。他の何かに成るのではない。新しく生まれるのだ。常に変化していく個体、その箱こそがハイハイジェッツだ。わたしの求めるハイハイジェッツは、わたしが触れようと手を伸ばした瞬間にはもういない。何故なら、わたしの知覚したハイはその時既に過去になっていて、また別のものと結びつき、新しい姿に変わっているから。……怖がりなわたしは、今回のサマパラの初日、ハイを見るのが怖くなった。受け入れることが出来なかった。全く知らない顔をしていたから。大人になっていたから。大好きだった16歳の男の子はもういない。目の前にいるのは、大人への扉を自分の手で、自分の力で開こうとしている青年だった。でも、その子を追っていくうちに、だんだんと目が離せなくなっていった。この子が好きなんだと思った。わたしは、18歳になった作間を、もう一度好きになってしまった。

今までは、アイドルらしいアピールよりも、パフォーマンスに重点を置いていると感じられる場面が多々存在していて、そういうところが好きだった。でも、この夏の作間は、見られる自分を意識しているようで、その変化に終始どきどきしてしまった……特にそれが顕著に表れてたのはブラシンだったと思う。もちろん、ダンスは今まで通りしなやかで美しくて、見ているだけで惚れ惚れしたのだけれど、一つ一つの動きに「魅せる」要素が加わっているように感じられて、今まで以上に引き込まれた。それに、作間が伝記で書いていたように、ファンサにも力が入っていた、と思う。ただ単にカンペに応えてるだけ、というように言っている人も見かけたけれど、そもそもコンサートはパフォーマンスを見せる場なのだから、カンペを読んでること自体が+αだ。でも、今回のサマパラの作間は、その上で更に、自分で考えてやっている部分、自分からおたくを喜ばせようとしてやっている(ように見えた)部分があった。それも、ちゃんと自分のファンだと分かる人に対して。わたしはそれがたまらなく嬉しくて、作間担でいる限り、この瞬間を宝物として大事に持ち続けようと決めた。色々あることないこと言われることも多いけれど、おたくの前であんなことを出来る子がアイドルらしくないとはわたしは言えない。……同時に、駆ける初披露時に勝手に妄想を膨らませて落ち込んでいた自分が恥ずかしくなった。8/17公演、駆けるのラスサビで客席に背を向けた作間の横顔を見て、この子が何も考えていないなんて思えなかった。これもまた作間の変化なのかどうかは分からない。もしかしたらあの時からずっと、強い気持ちを抱いていたのかもしれない。直接的にアピールすることもなく、静かに。本当の心の内や心情の変化なんてものは分からない。けれども、この時の作間は、確かに強い意志を持っていると主張するような姿だった。

今回のサマパラは悲しい気持ちで始まったけれど(それも勝手にわたしが一人で悲しんでただけ……なんなんだわたしは)回数を重ねるたびに、その気持ちは前向きなものに変わっていった。変化をポジティブなものとして描きだす。未だ予測できない未来を前向きにとらえていく。そんなハイを見ていたら、わたしも自然と顔を上げて過ごせるようになった。2年前に予想していた未来とは全く違う今と直面しているけれど、わたしはこの今が好き。そして、まだ予測できない未来の作間まで、好きだと言いたい。いざその未来が今になった瞬間、わたしがどう思うかは分からないけれど、少なくとも今のわたしは未来まで好きでいたいと思っている。当たり前だけれど、わたしも作間と同じように変わってゆく。だから、絶対とか中心とかそんなものはどこにもない。けれども、今この気持ちを仮止めしておきたい。わたしにとって、自分は作間担だと言うことは、その瞬間心の中で渦巻いている「好き」をなんとか位置付けることを意味しているんだと思う。……だから、まだまだわたしは自分のことを作間担だと言い続けようと思います。