儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

羽がなくてもいいよ 僕たちを飛ばすのはJETさ

今更ながら、猪狩が「俺は俺だ、違いますか?」と叫んでいた気持ちが分かったような気がしました。

わたしはずっと、この詞には、彼自身の「自分らしくありたい」という願いが込められていると思っていました。厳密に言えば、自分らしくありたいけれど、そういられない自信のなさ、または、その気持ちを挫いてくる他者を突っぱねようとする姿が見えるような気がしていました。しかし、もしかしたら「自分らしさ」を否定する自分や他者への反抗だけではなく、自分をある特定の集団に帰属させようとする力への反発も含まれていたんじゃないかなあ、と最近では思うのです。自分の意思とは反して、突然、カテゴライズされる。そして、「かくありたい」という願いを奪われる……アイドルとか、じゃにぃずとか、そういう枠を越えて、自分は自分でいたいと、そしてハイハイジェッツを、他の何かのコピーや二番煎じではない5人として見てほしいと願っていたんじゃないでしょうか。突然の妄想披露。……正直に言ってしまうと自分が最近、突然一人称を奪われ呆然としたことがあったからこんなことを書いたのです。自分の恨みつらみをアイドルにぶつけるのは良くないですね。反省。結局、わたしがアイドルを見るときはいつも、その視線をカーブさせ、自分自身を見つめているのです。

そういえば、ひらいての映像が解禁されましたね、えへえへえへ。画面が青春100%です。体操服着ている作間がたまらんです。ちりとり持ってる姿も、ああ、学生らしい学生。わたしの通っていた高校はあまり高校らしくなくて、木の机!制服!掃除の時間!という、いかにも学校!!な生活は中学まででした。だからこういう映像を見ると、混沌とした中学時代がフラッシュバックし、少しだけ頭が痛くなります……ううう。しかし、今振り返ると、その苦しさも含めて今のわたしの一部なのだと思えるから不思議です。苦しみがなければ、きっとわたしはあの日々をこうやって思い出すこともなかったでしょう。そして、フィクションとして作られた、重く苦しい青春の中に18歳の作間の姿が残ると考えると、はあ、幸せですね。オートリバースの時にも書いたような気がしますが、高校生のうちに学生ものの作品に出演してくれると言うのは、(わたしはもう「元」になってしまいますが)dkおたくにとって最も幸福なことの一つだと思うのです。学校や制服という記号に包まれ、分かりやすく高校生と示された姿が、作品を構成する一つの要素となって一生残るのですから。それにしても、ひらいて、の作間の妖しい雰囲気がめちゃめちゃに良いです……ううう。こんな子クラスにいたら陰ながら気にしちゃう!!あんまり話さないけど、なんかコミュ英の授業中に見ちゃうんだよなー、という枠ですよ!!作間がサブカル!!みたいに言われるのが今まであまり好きじゃなかったんですけど、それは「そんな簡単な4文字で終わらせられる子じゃないのよ!!」という気持ちがあるからなのかもしれません。映画は10月公開ですってよ!!少年たち終わってひらいて公開して……という素敵な秋になるかしらん。