儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

過去も未来も星座も越えるから

radiko版オートリバースもついに明日で最終回ですね。1時間版の方も、地元のラジオ局で放送されるたびに聴いているのですが、回を重ねるごとに冒頭の「オートリバースつきだぜ」から始まる会話を聴くのが辛くなります……最後、高階とチョクがどうなるかを分かっているから、繰り返し聴くたびに二人の心情が徐々に理解できてくるから、苦しくなってしまうのかな。

最近は、チョクの考える、大人と子どもの違いって何だったのだろう、ということをぼんやりと考えています。相変わらず原作は途中までしか読めていないのですが(流石に明日くらいには読み終えたい……)チョクの中には、地元の同級生たちは子どもで、親衛隊にいる人の方がよっぽど大人で、特に三谷さんは人としても出来上がっていて尊敬できるけど、その一方で学校の先生や親は最悪で……みたいな価値観があるのですが、そういう考え自体が子どもじみているなあ、とわたしは思っていました。チョクは自分の今いる環境を受け入れられない子どもなのだ、と。でも、自分の中学時代を思い返してみたら、それも違うような気がするのですよね。

チョクとは時代も違うので、流石に校内暴力なんてものはありませんでしたが、それでもわたしの通っていた中学はそれなりに荒れていて。それが原因で、わたしが入学する前年まで、授業中は教室の扉に鍵をかけることになっていました。脱走を防ぐためではなく、脱走した生徒が他の教室に入って、そこで遊びだしたり、喧嘩をしたりするのを防ぐために、です。つまり、(もちろん、チョクが消火器を使ったあの時のように、咎める先生もいたでしょうが)外に出ちゃうような生徒は知らないよ、勝手に廊下にいてくださいねっていう鍵だったのです。この鍵は、物理的に、学級運営や授業の妨げになる生徒を排除するためのものだったはずですが、同時に、自分たちの手に負える生徒と負えない生徒を分別する役割をも担っていたと思うのです。そして、チョクと高階の学校にも、きっと似たような空気が充満していた。原作では、校内暴力を無視して授業を進める先生の姿が描かれていましたが、これは上に書いた教室の鍵と同じだと思うのです。都合のいいものしか目に入れない。それ以外のものはなかったことにする。そんなところを居場所だと思えるはずがないし、そんな大人を信じられるはずもありません。きっと、親衛隊の三谷さんの方がよっぽど出来た人間で……というような考えは、15歳のチョクなりに導き出した、最も適応的な価値基準なのでしょう。だから、その考えを「子どもじみている」と一蹴することが、わたしには出来ないのです。

公立中の閉塞感や、アイドルとおたくの関係、ファンダムなど、様々な要素が詰まっているので、オートリバースを聴くと色々考えてしまうのですが、少しずつメモを残していきたいです……あと、何度目かのオートリバースで気付いたのですが、高階って、物凄く格好良くないですか?途中、親衛隊でイケイケになる辺りは、キョンキョンのことを無視している感じとか、暴力に頼る姿が、いけ好かないのですが、なんやかんやでチョクのことをずっと友達だと思っていることが分かるから嫌いになれないのですよね。チョクの気持ちで聴くと、凄く格好良い人に思える、気がします。作間が演じてるフィルターがかかってることもあるとは思いますが!(笑)