儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

ユーフォリアなんて贅沢言わないからこの痛みだけをかなえて

文句ばかり書かないとか言っておきながら結局たらたら書いてしまったので追記にぶちこむ……

わたしはずっとこの世に存在するあらゆるものは言葉ありきのもので、言葉がなければ思考も事物も何も存在しないと思っていました。頭に浮かんだもの一つ一つに名前をつけることで、それは思考になるし概念になる。ソシュール言語学について話すときに、日本語における蝶々と蛾、そしてフランス語におけるパピヨンの比較はよく出てきますが、そういう風に、言葉で言い表せないものは存在しないのと同じことだと思っていました。言葉の範囲=思考の範囲は言い過ぎかもしれませんが、言葉で表せないのなら認識できないし、認識できないものは相対的に存在しないものだと思っていたのです。

でも、本当はそうじゃなくて、言葉の範囲の外にも思考は存在していて、それをなんとか捉えようとすることこそが大切なんじゃないかと昨日の昼間ふと思いました。例えばわたしは人間に対してクローン技術を適用することに何とも言えない不快感を抱いてしまうのですが、その理由は何年経っても上手く言い表せません。簡単に言ってしまえば「なんか気持ち悪い」になるのですけれど、その「なんか」に含まれる微妙なニュアンスというか、お腹の中でぐるぐる言っているものを的確に表現する言葉が見つからないのです。でも、だからといってその気持ち悪さは存在しないことにはならないし、「嫌だ」という感情もなくならない。それと同じで、本当はわたしたちの言葉の外の領域にも思考というものはあって、でもそれらは無視されてしまっているだけなのだと思います。簡単に言葉にできないもの、もしかしたら一生言い表せないのかもしれないものなんて、なかったことにしても生きていけます。むしろ、なかったことにしたり、手近な言葉を適当に当てはめたりした方が生きやすいのかもしれません。でも、わたしにはそんなことできない。一度思ってしまったことはどうやったってなかったことにはならないし、なかったことにしたくありません。そして、そういう言葉の外にあるものこそが本当に大事なものだと思うから、適当な言葉でラベリングすることもしたくない。わたしがこんな風に日記を書き続けているのは、そんな「言葉には上手く言い表せないけれど無視したくないもの」をなんとか残しておきたいからなのかもしれないなあとぼんやり思っています。

 

 

結局なにが言いたいのかというと、今日ROTの予告を見た時に理由や嫌だという気持ちよりも先に「うわあ……」という何とも言えない感情が溢れ出てきてしまい、ああ言葉の外にある気持ちというものも確かに存在しているのだなあと思った、ということです……

そもそもわたしは以前にも書いた通りアイドルドキュメンタリーアレルギーで、ハイハイのROTが放送されると知った時から、またリアルに限りなく近いお話を押し付けられるのかとぐったりしていたんですけれど、予告から想像以上にあの件を美しく加工しようとしていることが窺えて閉口しました。あんまりたらたらと文句ばかり垂れるのも良くないと思いますし、簡潔かつ的確に言い表せる言葉も見つからないので長くは書きませんが、わたしは作間に対してどこか非現実的なものを求めつつも、やっぱり普通の一人の男の子だと思っていて、だからこそ切り売りされていくこと、パッケージ化されていくことに耐えられないのだと思います。こんな風に美しい物語に仕立て上げてしまうことが、作間にとってハイにとって良いことだとは思えません。アイドルとしての彼らに対しても、一人の男の子としての彼らに対しても、です。

書かなくても良いことですし、むしろこんなこと書かない方が良いのだろうけれど、それでもやっぱりわたしは何とも言えない不快感を見逃すことができなかったのでここに残しておくことにしました……はああああああああ残りの1月と2月と3月中旬までをスキップして春祭り来てほしい……