儚いから愛おしく、慈しむほど輝く

呼び捨てされる嬉しい響き Good Chance 期待しちゃうな

わたしの高校生のはなし

いつも以上に自分のための日記だから追記に入れておきます……

 以前から何度も書いているようにわたしは2009年頃のJUMP担の空気が好きで、それゆえ2018年にわざわざはてなダイアリーに手を出してみたり(結局サービス自体が終了してしまった、悲しい)Decooに登録してみたりと時代に逆らうような行為を沢山してきているのですが、それら全ての動機となっているのはかつて好きだったブログの存在です。

今から10年位前に姉の知り合いのJUMP担の方が書いていたブログ。既にその方はヲタ卒されてしまって更新ももう何年も前に止まっています。それでも、未だに定期的に読み返すくらい好きなブログなのです。その人はちょうどその頃学生だった方なのですが、日常のこと、例えばテストの結果が悪かったこととか、放課後に寄り道したこととか、そういう些細なことから、ジャニショに行ったことや連日のバレーの試合放送でダビングに追われていること、コンサート会場で誰に会ってどこでお昼食べて~という現場の日の行動記録に至るまでを自分の思いと一緒に綴っていて、わたしはその誰のためでもない、自分のために書いた「日記」という感じがとても好きなのです。と同時に、2009年にこういうJUMP担がいたんだぞ!という記録を鮮やかに書き残していて、読む度にめちゃくちゃときめいてしまうのです。そして、高校2年生だったわたしには「どうしてわたしは2009年頃に高校生じゃなかったのだろう…」という謎の絶望と「わたしもあの頃のJUMP担になりたい!!ウィルコム持ちたい!!」という謎の憧れが生まれてしまいました。その二つに突き動かされてJUMPの10周年イベントの当落とほぼ同時期に始めたのがこのブログと同じタイトルのブログでした。

 始めたときはとにかくあの頃のおたくのノリに近づけたくて、毎日更新をしていました。そして、学校に行くときは紺ソ+ローファー+スクバを厳守していました。(友達からは5年くらい前の渋谷にいそうとか言われてた。)とにかくあの時はあの頃のJUMP担になりたくて仕方がなかったのです……

でも高3に上がって(主に卒論で)忙しくなって、JUMPにも色々あってブログを書かなくなって結局高2の11月頃から書いていたブログはやめてしまった……サマステの一般と裸少の初回放送はちょうどその頃の出来事でした。知ってる子が数人いれば楽しめるかな、はしみずと嶺亜とぽんさんがいれば暇になることはないかな、と思って取ったハイ侍のチケット。そして何だこの子はめちゃかわいい゜・*:.。..。.:*・゜と飛貴くんに衝撃を受けた裸少。この瞬間を文章にして残せば後々面白いだろうな、となんとなくの思い付きで始めたのがこのブログです。

丁度その少し前くらいから今のjkっぽいことしたいな~韓国っぽいパーカーとか着て登校したいな~と思っていたのですが、若いじゃにーずじゅにあの子のファンになったということがきっかけとなりその頃から今時のjkっぽいことをするようになりました。韓国っぽいリュックで学校行くとか、短くて後ろにリボンついてる靴下履くとか。パーカーとかスニーカーとかはあまりかわいいと思えなくてやらなかったし、プリクラを手帳に貼ることもやめられなかったのですが、出来るだけ今のjk!!みたいなことをやろう、と頑張っていました。まあやったことと言えば10分休みで知育菓子「楽しいナンカレー」を作って食べたとか、TikTokを揶揄した寸劇を合宿で披露したとか、そういうしょーもないことばかりなんですけど……でも地元のきゃぴきゃぴした友達のおかげで渋谷でタピオカとか、そういうきゃぴきゃぴしたことも出来て楽しかった!♡学校の人とやったくだらないことも楽しかったけどね!(笑)

しかし楽しかったのはせいぜい秋くらいまでで、その後は卒論とか、そのほかのこととかで死んでいた……周りが本気で部活とか学校関係のあれこれを頑張っていて、だからわたしも頑張ってる風を装っていたけど、でもそれがどうにもしんどくて仕方がなかった。どうしてわたしはこの学校の普通になれないんだろうってずっと思ってた。そもそも入る学校を間違えたのかも、とか、色んなことが頭の中をぐるぐるしていた。

そんな状況でもなんとかやってこれたのはこのブログがあったから、だと思います。何かについて考えること。くだらないこと、はいちゅーぶの感想だとか、それこそハイの2人ずつ企画とか、そういう何にもならないかもしれないことでもいいから、とにかく何かについて考える。どうしてそう思ったのか、今わたしが思っていることは何なのか、それを文章にする。わたしは思ったことを口にするのが苦手で、それゆえ落ち込むことも沢山あるのだけど、文章にして発信することで幾分か救われた。誰かが読んでいるかもしれない、ということが励みになっていました。

と同時に現実世界でも助けてくれる人とか、わたしのことを見てくれている人とかがいることに気が付いた。特に卒論提出期間はあまり親しくなかった子が心配してLINEをしてくれてめちゃめちゃに嬉しかったな。傷ついたことも沢山あったし辞めたいと思ったことも沢山あったけどなんだかんだでこの選択は間違いじゃなかったと思っています。

あと、文章を書くことの基本は現代思想の授業で学んだ気がします。片手で数えられるくらいの人数しかいない授業。取り上げられるテーマはオール先生の好きなもので、それゆえ雑談も多かったのだけど(笑)何かについて考えること、何かについて書くこと、をこんなにしっかりと教えてくれた人は他にいなかったと思う。自分にしか書けないテーマで書くこと、答えは一つに決めなくてもいいこと。他にも沢山教わったことはあるのだけれど、多分、この二つことは自分一人では見つけられなかったと思う、し、これらのことを教えてもらわなかったら今とは全然違う文章を書いていたのだな、と思います。

 わたしは確かに卒論をめちゃめちゃ頑張ってた人とか、部活で記録を残した人とか、国際交流を頑張った人とかと比べたら怠惰な高校生活を送っていたと思います。でも、ほぼ意地みたいなものに突き動かされてここまで自分の言葉を溜めてきたわたしをわたしは褒めたい!!(笑)ほぼアイドルのことを書きまくって約38万文字……結局下書きのままのものとかカウントできない場所に書いてたものとかもあるから本当はそれ以上。新横浜、千駄ヶ谷、水道橋、有楽町、六本木……現場に行って思ったこと、やったこと。YouTubeや少クラを見て感じたこと。友達としたアイドルの話。普通なら抜け落ちて行ってしまうこと、忘れてしまっても良いことを敢えて掬い上げて文章にした高校生活だったように思います。特にこの9か月は。確かに無駄だったかもしれないけれどわたしはこの38万文字を無駄だったとは思いたくない!!(笑)いつか、読み返して「結構面白いじゃん」って「無駄じゃなかったな」って思える時が来たら良いな。

そして、いつか、高2のわたしみたいに「2018年頃のjkになりたかったー!!ハイハイジェッツのおたくしたかったしEXシアターでだぁ~どら聴きたかったよー!!」って思うjkが生まれたら良いな、と思っています。そして、ちょうどわたしがあのJUMP担のブログを読んでブログを書き始めたみたいに、その子にとっての何かのきっかけになったらいいな~なんて思ってます。自惚れかもしれないけれど(笑)